2011年 野猪

張貼日期:Sep 30, 2011 12:59:37 PM

宮崎県の椎葉村を訪れた。

訪れてみたいと思っていた土地であった。このたび、宮崎大学の早野慎吾さんの計らいで、年来の願いが実現したのである。

柳田国男が椎葉を訪れたのは明治41年(1908年)、今を去る103年前のことである。その翌年に著された『後狩詞記』は当地の狩猟語彙を中心に記したものであるが、そこには、いわゆる「方言周圏論」発想の原点ともいえる言及がある。

わたしは、かつて、次のように述べた。

柳田は早く『後狩詞記』のなかで、宮崎県椎葉の山村を訪れた折の印象を記して、

山におればかくまでも今に遠いものであろうか。思うに古今は直立する一の棒では

なくて、山地に向けてこれを横に寝かしたようなのがわが国のさまである。

と述べています。これはまさしく歴史的変化が地理的変異との相関で把握できることに触れた注目すべき言及です。

(『柳田國男全集19解説』ちくま文庫)

このたびの椎葉では、その『後狩詞記』に収録されている狩猟語彙を、現在の狩人たちに確認する作業をしたのであるが、その過程においての、イノシシを射止めた直後にその血を飲み、生の肝を食するという談話が心に残ったのであった。

椎葉訪問の後、しばらくして台湾の東呉大学に集中講義で出かけた。

滞在中、いま話題の映画「セデック・バレ(賽德克・巴萊)」を見た。この映画は、1930年に起こった原住民族セデックによる抗日事件の「霧社事件」を題材にしたものである。ちなみに、セデック・バレとは、セデック語で「真の人」の意の由。映画での使用言語はセデック語と日本語で、字幕が中国語という構造が興味深かった。

そのなかで、セデックがイノシシを射止めた後、血を飲み、生の肝を食する場面が現れたのである。日本と台湾の山岳民が狩猟民族として繫がっていることを実感した瞬間であった。

2011.10.1