張貼日期:Apr 04, 2021 5:36:44 AM
西日暮里の駅隣りの丘、道灌山の周辺も私の散歩コースの一つである。道灌山は上野の森から飛鳥山へと続く台地上に位置している。
その昔、1976年の4月から8月まで、道灌山学園保育専門学校で教鞭をとったことが懐かしく思い出される。だが、あの時の教え子たちはもう還暦を過ぎているのか、と考えると何だか恐ろしくもなるのである。
道灌の名の由来は、この地にいた中世の土豪、関道閑の屋敷跡であったからだとか、1457年に江戸城を築いたことで有名な太田道灌の出城があったからだとかいった伝承があるようだが、はっきりはしないようである。
いずれにしても、室町時代後期に活躍し、江戸城を築いた太田道灌は江戸庶民に慕われていたようで、その名に因んだ命名や、道灌との繫がりを観光に利用しようとする動きが各地に存在するのである。
日暮里駅前のロータリーには、道灌の騎馬姿を再現したとする銅像が立っている。平成元年に設置されたものの由である。そして、一昨年、山吹伝説に基づく和服姿の少女のブロンズ像が、その隣地に新しく設置されて、駅前のシンボルともなっている。
山吹伝説とは、「道灌が、鷹狩の途次にわか雨に遭って、近くの農家で蓑を借りようと立ち寄った折、一人の少女が一輪の山吹の花を差し出した。蓑ではなく花であったので、道灌は怒った。しかしあとで、これは後拾遺和歌集における『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき』という歌に掛けて、『山野の茅葺(吹)の貧家なので蓑(実の)一つも持ち合わせていません』とスマートに答えたものだと近臣から教えられ、感動した」といった言い伝えである。
先日、日暮里を訪ねてきた学生時代の友人に駅前の少女の像を紹介した折のことである。「ここが例の山吹伝説に登場する場所なの?」と尋ねられて、実はことばに詰まったのであった。
山吹伝説に比定されている地は、都内に数か所あるからである。豊島区高田の面影橋付近、新宿区西新宿の新宿中央公園あたり、などがそれである。さらには、横浜市六浦や埼玉の越生町などにも山吹の里伝承の地が存在する。実際の場所となると、伝説自体の真偽も含めて、不明なのである。
2021.4.5