2008年 半夏生
張貼日期:Mar 05, 2011 5:57:33 AM
阪大で教鞭を執るようになって間もない頃である。
研究室で大学院生と雑談していたとき、カナダからの留学生、T君が、「横浜に遊びにいってきた。そこでナガワというものを食べたが、とても美味しかった」と言った。
さて「ナガワ」とは何か。記憶を辿ってさまざまに検索するのだが見つからない。料理に無案内な者ゆえに分からないのだろう。ここで恥をかいても、と瞬時にさまざまな思いがめぐり、「それは良かったね。ナガワは美味しいからねえ」とやってしまった。
そばで聞いていた日本人のK君が、「ナガワって何?僕は知らないけど」とT君に質問した。T君はしばらくして、「あっ、ナガワじゃなくて、ヤナガワ(柳川)だ」と言った。
すかさず、K君から、「先生!」ときた。
そのときの恥ずかしさといったらなかった。まさに穴があれば入りたい心境だった。
この事件のことをときどき思い出して冷や汗をかいている。このごろは知ったかぶりをすることもなく「何のこと?」と開き直って聞けるようになったが、かつては語彙が不足しているというコンプレックスもあって、このような行動をすることが実は多かったのである。
この刻印以来、そのような行動を「ナガワの話」と称し、呵責しつつ自分のなかで反芻している。
講義をしていると、微笑みながら頻りにうなずいて聴いている学生がいる。分かってくれているのかと思うと、テストの結果まったくそうではないことが判明したりする。これも「ナガワの話」である。
ただ最近は、うなずいていても、その目つきによって(目の輝きによって)、理解してくれているのかそうでないのかが分かるようになってきた。
2008.7.1