張貼日期:Mar 05, 2011 5:56:15 AM
高校時代に過ごした富山県砺波市のチューリップフェアの光景が目に浮ぶ。いまごろは100万本のチューリップの花が一面に色鮮やかに咲きほこっていることであろう。
無沙汰して何年になろうか。
砺波高校のクラスメート(悪友?)で、その後も親交のあるノンフィクション作家、山田和さんの『知られざる魯山人』(文藝春秋)が、このたび第39回の大宅壮一ノンフィクション賞に決定したとの報に接した。彼は、1997年に『インドミニアチュール幻想』(平凡社)で講談社ノンフィクション賞を受賞している。続けての快挙に快哉を叫んだのであった。
『知られざる魯山人』は、彼の父上との交遊があった北大路魯山人について、その人間性に迫ったもので、彼らしく事実を徹底的に掘り下げて、魯山人の実像を描ききった大作である。
私たち家族は魯山人作品を日常の器とし、それらで湯葉(ゆば)や簾麩(すだれふ)を食べ、フクラギ(鰤(ブリ)の子。北陸ではアオコ、コズクラ、フクラギ、ガンドウあるいはワラサ、ブリと出世する)やバイ貝の刺身を食べ、ゆびす(、、、)(寒天の鼈甲(べっこう)料理)や、赤貝と田芹(たぜり)の煮浸(にびた)し、蕪鮓(かぶらずし)や茄子(ナス)の煮浸し、浅葱(アサツキ)とホタルイカの酢味噌和えなどを食べ、あるいは鰹(カツオ)の醤油煮を盛って木の芽をふんだんに散らし、夏はそこに素麺や冷奴を浮かばせて青モミジの葉を放っていた。
その文章の一部を抄出しよう。
その風情のいかに見事だったことか。小振りの織部の皿に並べられた赤いはべん(、、、)(富山の蒲鉾)やカラスミは美しかったし、母の押す鯖鮨だけでなく、単純な蕪の色取り(、、、)ですら魯山人の器の上では大御馳走に見えた。また直径一尺四寸の信楽の鉦鉢(どらばち)や、差渡(さしわた)し一尺八寸、重さ二、三貫もある鮑形(あわびがた)大鉢(おおばち)に盛り上げた茹でたての香箱蟹(こうばこがに)の豪華と絢爛は圧倒的だった。私はその調和と演出の大胆に見とれ、盛り付けが面白くなり、料理に興味を抱き、ついに酒の醍醐味を知ったのである。
少し大袈裟ではあるが、豊かだった昔日の食卓のありさまが余すところなく描かれている。何だか帰りたくなってきた。
2008.5.4