2019年 ことばの帝国主義

張貼日期:Aug 17, 2019 12:46:4 AM

ちょうど1年前になるが、友定賢治さんとの共編で『県別方言感覚表現辞典』なるものを刊行した(東京堂出版)。その折、畏友の日高貢一郎さんから、宮崎県の調査対象地を都城市にしたことについて、意見を頂戴したのであった。

宮崎県方言の代表地としては、使用人口などからしても、オーソドックスには「諸県方言」ではなく「日向方言」から選ぶべきで、その方が、抵抗感が少ないと思う、と。

その抵抗感に関して、かつての宮崎県知事であった東国原英夫氏による「どげんかせんといかん」という表現をめぐっての事例を挙げて下さった。

「どげんかせんといかん」は、都城市出身の東国原氏が自身の率直な感想を述べて有名になった言い回しであるが、宮崎県の人のなかには、「あれが宮崎県の方言だ」とされることに違和感や抵抗感を持った人が多かった由である。

「どげんか」に関する表現分布は、宮崎県内においては、

「どげんか」諸県方言:宮崎県西南部(都城市など)

「どんげか」日向方言:宮崎県中北部(宮崎市など)

といった地域的状況にある。

かくの如くに、一口に「~県方言」といっても、その県のどの地域のことばをもって県の代表方言とするかは難しいところなのである。

県単位だけではない。例えば、鹿児島県の奄美大島の場合、集落ごとに方言が異なるのだが、一般に奄美方言というと、大島の中心地である北部の名瀬市のことばでもって代表されることが多い。そのことに対して南部の人々が強い抵抗感を抱いていることを私は捉えている。

さらには、「日本語」という場合もまた同様であろう。ちなみに、かつて東京生まれの徳川宗賢先生が、自分では「東京では」「東京語では」と言おうとするのだが、往々にして「日本では」「日本語では」と言ってしまって反省することがある、と述懐されたことが思い出される。

「~方言」や「~語」と名付けられた段階で、それは具体的な地域や個々の地域人からは乖離していくのである。そして、そこから逸脱していることばは排除されてしまう。そのことによる疎外について思いを致すべきである。名付けと、そのことによる後の展開は、いわば「ことばの帝国主義」と称してもいいのではなかろうか。

(2019.8.18)