2020年 初詣の群衆雑踏

張貼日期:Jan 01, 2020 12:14:10 AM

谷中5丁目の一角に、初代三遊亭円朝の墓碑がある。円朝は、天保10年(1839年)、江戸湯島の切通町に生まれた。

明治落語界の第一人者で、芝居噺で人気を博し、「真景累ケ淵」、「怪談牡丹燈籠」、「塩原多助一代記」などを創作したことで知られる。特に「怪談牡丹燈籠」は円朝の代表作で、その口演が明治17年(1884年)に当時の速記術によって文字化され、刊行されて有名になった。その冒頭は、次のような表現から始まる。

寛保三年の四月十一日、まだ東京(とうけい)を江戸と申しましたころ、湯島天神の社にて聖徳太子の御祭礼をいたしまして、その時たいそう参詣の人が出て群衆雑踏を極めました

私は、東京に移住しての最初の正月、湯島天神に参詣した。初詣の群衆雑踏はこの話の場合と変わらないというべきか、社殿にたどり着くまでに2時間近くもかかってしまって、閉口したことを思い出す。

円朝の噺で心に浮かぶのは、二葉亭四迷が「余が言文一致の由来」という文章で述べている内容である。円朝は、明治の「言文一致運動」に、間接的ではあるが影響を与えた人物でもあった。

もう何年ばかりになるかしらん。よほど前のことだ。何か一つ書いてみたいとは思ったが、元来の文章べたで皆目方角がわからぬ。そこで、坪内(逍遥)先生のもとへ行って、どうしたらよかろうかと話してみると、きみは円朝の落語(はなし)を知っていよう、あの円朝の落語どおりに書いてみたらどうかと言う。

で、仰せのままにやってみた。ところが自分は東京者であるから言うまでもなく東京弁だ。すなわち東京弁の作物が一つできたわけだ。さっそく、先生のもとへ持って行くと、とくと目を通しておられたが、たちまちはたとひざを打って、これでいい、そのままでいい、なまじっか直したりなんぞせぬほうがいい、とこうおっしゃる。

(『二葉亭四迷全集 第5巻』による)

ところで、湯島天神には、その後行っていない。今年は、正月明けに谷中の「おすわさま」、諏方神社に詣でようと思っている。

2020.1.1)