2013年 文月

張貼日期:Jul 01, 2013 1:33:42 AM

ひょっと思い立って、慶應義塾大学三田キャンパスで行われていた鈴木孝夫氏の講演会に出かけた。「NPO法人 地球ことば村・世界言語博物館」の設立10周年を記念する講演で、「世界共通語はなぜ不可能か-バベルの塔と『中間世界』としての文化」という演題であった。

バベルの塔とは、言うまでもなく、旧訳聖書にある伝説の塔のこと。人間が天にも届くような高い塔を築き始めたのを神が見て、そのおごりを怒り、人間のことばを互いに通じないものにさせ、その建設を中止させたという。鈴木氏は、そのバベルの塔の話に照らして、現代の英語の世界支配とそれのみに基づいた営為を批判しつつ、多言語社会の必要性と重要性について熱っぽく語っていた。ちなみに、「中間世界」とは、外界からの衝撃を吸収する装置、すなわちショックアブソーバのようなものを指すとする。そして、それこそがまさにそれぞれの文化であり、その最たるものが言語である。したがって、言語はそれぞれで違っていなければならないのだ、といった趣旨であった。

鈴木氏は86歳だというが矍鑠たるものである。

1973年に刊行された著書『ことばと文化』(岩波新書)を、シンパシーを覚えながら読み進めたことが思い起こされる。当時、私は27歳、東北大学の国語学講座の助手として勤めていた頃である。そのとき鈴木氏は46歳であったはず。まだ若かったのだなあ、と今は思う。

かつて、大阪大学の文学部での集中講義に来てもらったことがある。英語学講座による招聘であった。その折、夜の懇親会で同席することになった。いろいろ話すなかで、「弱い者はなるべくひっそりとしているべきだ、云々」といった談話に、実は強者の論理を感じて、少しばかり違和感を抱いたことがあった。

しかし、そのような言い回しは、生きとし生けるものの多くを観察し続けた結果に基づく、鈴木氏なりの矜恃を持った表現であったのだ、と思い返してもいる。

2013.7.1