2012年 霧中

張貼日期:Dec 01, 2012 5:5:7 PM

週に1、2度のペースで、近くのスポーツクラブのプールで“歩い”ている。

かつて、アメリカ映画で、肥満の老人たちがプールのなかを歩いているシーンを見たことがある。その時は、飽食のなれの果てならむ、と軽蔑したものであった。いまそれを自分がやっている。忸怩たる思い、というか、ある感懐にひたるのである。もちろん、周りに肥満の人は少なく、飽食のなれの果てなどということでは決してないのだが。

私の場合、プールのなかを歩くのは30分、そのあと20分ほど泳いで、ジャグジーにひたる。泳ぐと言っても、いまだ途中での息継ぎが出来ないので、20メーター置きくらいに足を下ろして止まらざるを得ない。ずっとそのような自己流の泳ぎを通してきている。技術を習うことになぜかプライドが許さない変な性格。(ちなみに、泳法はクロールである。)

ジャグジーで身体をほぐしたあと、スチームサウナで6分、普通のサウナで6分、そしてシャワーのあと冷水につかること1分、風呂で身体を洗って、温水につかること2分、最後に再度シャワーをして終了、というのが私の場合の工程である。その間、約100分。誰とも口をきかない。知り合いを作ってはいないので、話しかけてくる人もまずいない。そのような状況が実は好きなのである。ただ、周りの人々、特におばちゃん族の談義にはいつも耳をそばだてている。

プールで考えごとをしながら歩くのでは効果がない、と言われるのであるが、私にとってはこの瞬間こそが、過ぎし日々を回顧しつつ、いまの思考の行き詰まりを解消してくれる豊穣の刻なのである。(終了後には体重が400グラムほど減っている。)

歩きながら、今日はなぜか寺山修司のことが思い出されてきた。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし、身捨つるほどの祖国はありや

2012.12.1