2009年 文化の日

張貼日期:Mar 05, 2011 6:9:31 AM

富山市の桂書房の社主、勝山敏一さんから、珍しい記事があると、明治28年10月3日付の『富山日報』のコピーをいただいた。『富山日報』は現在の『北日本新聞』の前身で、当時の改進党系の機関誌であった。

そこには、「土地の訛音を正すこと」という見出しのもとに、次のような解説が載せられている。

東京人の(ヒ)を(シ)に訛り火鉢の火を(シバチノシ)と云ひ、越後人の(フ)と(ヒ)とをたがへ(引窓の紐)を(フキマドノフモ)と云ひし薩摩の(陸)を(ヂク)と云ひ、肥前の(鳥)を(トイ)と云ふ類みなその国の訛りなり、今下野の人々が(イ)と(エ)を混じ(ヰ)と(ヱ)を誤る習慣あれば、試に五十音の表に就き、諸名詞の呼声を験するに、左記の如き差異を見せり、

(いえ)

(ゐゑ) (略)

又漢文の読方に由て試し見るに、 右の例に据て考ふるにアオの二段は(いえ)の二音と発声の状異なれば稍本音に近き声をなし、イウエの三段はその発声相類すれば下の音につり込まれ、遂に混同を致せるならん、

「イ」が「エ」に変化するのは逆行同化によるとの見解である。私は、このような見解をその後の研究記述から見出していない。なお、これは下野、すなわち栃木県あたりでの方言現象だとする。この点に関する考察をご存じの方は是非ともお知らせいただきたい。

2009.11.3