張貼日期:Nov 15, 2019 12:12:1 PM
ふるさと五箇山の方言敬語の代表とも言える形式に「ヤル」というのがある。この「ヤル」は、動詞の連用形について敬意を表す助動詞であるとともに存在の意味を表す尊敬動詞でもある。助動詞の場合、直上の音が子音の付いた「イ」「エ」だと、その子音と「ヤ」とでア列の拗音となることがある(「行きャル」、「死にャル」など)。この形態は江戸時代、元禄期の上方語と全く同様のもので、それがそのまま五箇山に残存しているのである。
ところで、五箇山に隣接している平野部の井波には、継続相を表す敬語形式の「テヤ」がある。この「テヤ」について、小西いずみ・井上優「富山県呉西地方における尊敬形『テヤ』」(『日本語の研究』9-3、2013、7)では、「テヤ」は五箇山での継続相の尊敬形「テヤル」の縮約形と解釈されている。確かに五箇山の「テヤル」は「ヤル」の継続相ではあるが、それは「ヤル」のパラダイムのごく一部である。地理的に接続しているとはいえ、井波方言が、そのほんの一部だけを取り込んで、変形させたとすることには不自然性がある。
五箇山方言での「ヤル」の否定形は「ヤラン」である。井波方言での「テヤ」の否定形は「テナイ」である。したがって、井波方言の「テヤ」は「テアル」に由来するものと考えるべきではなかろうか。
「テヤ」敬語は西日本の各地に存在する。この「テヤ」については、これまで「テ+コピュラ(指定の助動詞)」だと捉えられてきた。ただし、上記論文では、富山県西部における「テヤ」の「ヤ」はコピュラではなく、由来も異なると主張する。この地での伝統的なコピュラは「ジャ」であり、「ヤ」は新しいことからしても、この主張については賛同する。ただし、歴史的にも地理的にも「テアル>テヤ」における「ヤ」や「テデアル>テジャ」における「ジャ」が、コピュラと再分析される可能性は確かに潜在していた。井波での「テヤ」の過去形は「テヤッタ」になっているが、この形の生成もその流れ(再分析)の一環であろう。
「テヤ」敬語が「~テ+アル」に由来するなら、それが継続相・尊敬を表したことを無理なく説明できるのである。その意味では、井波方言での「テヤ」は、「テヤ」敬語の古い姿(近世上方語の姿)を留める貴重な事象と見做すべきなのではなかろうか。
いずれにしても、井波方言の「テヤ」は、元禄期の上方語にあった古層形式を残存させている五箇山方言における尊敬形式の「ヤル」とは直接的な関係はないものと考えるのである。よしんば、その流れを各地に点在する「テヤ」敬語に敷衍することはできないはずである。
(2019.11.16)