2012年 鳳仙花

張貼日期:Sep 01, 2012 3:25:6 AM

満州といえば、千葉県香取郡での方言調査の話者として、偶然に出会い、その後何度もお邪魔することになった、いまは亡き岡村進さんのことが思い出される。

もう30年以上も前のことになる。時の流れの早さには驚くばかりである。

調査の合間、岡村さんに戦時中の旧満州での従軍体験談を強請することが幾度かあった。かつて兵士仲間と踏み込んだ敵地の学校で押収したという教科書の切れ端を見せてくれたことがある。また、所属部隊の隊長から、ある農村集落を焼き払うことを命令され、仲間と決行した時の状況を赤裸々に語ってくれたことがある。

その折々の、彼の葛藤と苦痛に満ちた表情が忘れられない。

命令を下した部隊長は東京出身の人であった、という。岡村さんたちは、東京のことを何故か「東京ムラ」と呼んでいた。

「東京ムラの人は駄目だよ。百姓のことがまったくワガンネァダガラ」

農家で過ごした彼には、自分の家を焼かれることの辛さが痛いほど分かっていた。しかし、命令に背くことのできなかったその時の苦しみを、このような表現で吐露してくれたのであった。

火がまわるやいなや、山に逃げ隠れていた住民たちの泣き叫ぶ声が藪の中から聞こえてきた。その方向めがけて銃を連射した。逃げ遅れ、抵抗して下士官の軍刀にしがみついた若者がいた。下士官が刀を抜いた瞬間、若者の指がぱらぱらと地面に落ちた。猛火に包まれた家から這い出してきた老人は再び火の中に投げ入れられた。

阿鼻叫喚の地獄図である。

ところで、私は、このような証言を、ある目的を意図しての「貴重な証言」などとするつもりはない。ただ、時代に翻弄された若き日の出来事を、長い間、自分の内だけにしまい込んで、ひっそりとして生きざるを得なかった多くの人々がいたことを伝えておきたいと思うのみである。

2012.9.1