2013年 彼岸

張貼日期:Sep 02, 2013 3:12:47 PM

大学での教養部時代に親しかった数人の級友との例会は、いまも継続している。若い頃の記憶は何故にかくも鮮明なのであろうかと、会うたびごとに思い知らされる。

今回は能登の和倉温泉が集合場所であった。世話役は観田健治君。地元、七尾市の教育委員会の委員長をこの春退いた由、少しばかり心身の余裕もできてきたようである。

和倉温泉の「加賀屋」は台湾の北投温泉にも進出していて、その前を横切るときはいつも和倉温泉のことを思い出すのである。もちろん今回の宿所も「加賀屋」ではないのだが。

思えば、私の最初の方言フィールドワークは七尾湾に浮かぶ能登島であった。観田君と二人で出かけたのである。でも、それはもう50年近くも昔のこと。当時、確かフェリーで渡った記憶があるが、1982年に能登島大橋が開通してからは車で直接行けるようになったとのことである。

フィールドワークのきっかけは、言語学者の岩井隆盛先生が授業のなかで能登島方言のバータ<海>が朝鮮語のパタ<海>とかかわるのではないか、とおっしゃったことにある。ただ、調査の方法も分からないままの未熟な道行であった。

このたび、その能登島に久しぶりに渡って、須曽蝦夷穴(すそえぞあな)と呼ばれる古墳を見学した。この古墳は全国的にも珍しいものだそうで、墳丘には2基一対の石積み墓室(横穴式石室)があるが、このような板石を積み上げたドーム型の墓室は朝鮮半島の古墳に通じるものであるという。そういえば、かつて韓国で見た新羅の古墳の構造と類似しているようにも思えた。

能登半島の神社の8割は渡来系の神をまつっているとも言われている。特に新羅との関係が深いのは、観田君の住んでいる田鶴浜町の白比古神社で、ここは古くは新羅神社と称されていたと言う。

能登半島と朝鮮半島との密接な交流を再認識した旅であった。

2013.9.1