2018年 台南

張貼日期:Feb 01, 2018 2:29:28 AM

台湾の東呉大学大学院博士課程での集中講義を始めて、もう13年が経つ。

先月は1月の11日から21日の間、台北に滞在した。授業明けの日、久しぶりに台南を訪れた。その日の台南の気温は24度、台北よりも10度も高く、身体がついていかなかった。北回帰線をはさんでの亜熱帯と熱帯の差を見せつけられる思いであった。

今回の見学で特に印象深かったのは、「台湾司法博物館」である。これは日本統治時代の1914年に建てられた「台南地方法院」をリノベーションしたものである。「台南地方法院」は当時の台湾総督府の建築士であった森山松之助が担当した建物で、西洋の華麗で繊細なバロック様式と非対称的な様式を取り入れた近代的なスタイル構造をもったものであった。最近の2016年に修復され、「総督府」、「国立台湾博物館」と並んで、日本時代の台湾三大古典建築と称されている建物である。

司法博物館として、台湾の司法・裁判官にかかわる様々な歴史をめぐっての展示がなされていたが、私が注目したのは、この建物が完成した翌年の1915年(大正4年)に勃発した西来庵事件の裁判が、この場所において行なわれたということである。

西来庵事件とは、台南で発生した漢族系住民による抗日武装蜂起のことである。西来庵というのは、彼らのアジトになった西来庵廟という宗教施設の名である。この事件を扇動した余清芳はこの施設の代表者であった。余清芳の呼び掛けに応じて、台湾各地に抗日組織ができ、約2,500人の住民が参加した由である。その蜂起によって、日本人95名が殺された。台湾総督府は軍隊を出動して鎮圧に当り、1957人を逮捕検挙した。そして、8月25日から、この「法院」で公判が開始され、結果866人に死刑判決が下された。しかし、その数があまりにも多すぎるということで、日本人の死者と同数の95名だけに死刑を執行し、残りの者は大正天皇の即位の礼での恩赦という名目で減刑、無期懲役に処したのであった。

この事件の顛末を詳しく知ることができた。100年以上も昔のこととはいえ、つらく重い気分が鎮まらなかった。

2018.2.1