2021年 東京五輪

張貼日期:Jul 02, 2021 4:54:44 AM

東京2020五輪・パラリンピックが、コロナ禍に起因するところの紆余曲折を経て、ともかくも“開催”という運びとなった。

さて、かつての1964年東京オリンピックは、大学1年生の時、金沢で迎えた。当時、金沢大学は金沢城の城内に位置していた。石川門を出るとすぐに兼六園の入り口があった。

そのオリンピックに関しては、二つの相反する場面が思い浮かぶ。一つは女子バレーボールの決勝で日本がソ連に勝った時のことで、下宿の部屋でひとりテレビにかじりつきながら快哉を叫んだのであった。もう一つは兼六園での散策後に園から出た際、聖火リレーに遭遇した時のこと。石川門との間の道に大勢の人が群がり集まっていて(まさに“密集”していて)、走ってきたランナーに向かって皆が一斉に拍手喝采をしたのである(歓喜して声を張り上げる人もいた)が、私には何だか醒めた感情が湧いたのであった。だが、そんな気持ちがどうして生起するのかは分からなかった。

そういえば、思い出は仙台での大学院時代にさかのぼる。1970年の大阪万国博覧会の折、下宿屋のおじさんとおばさんから万博行きを一緒にと誘われたのである。しかし、私はあまりにも世間が大騒ぎをしていることが何だか気にくわなくて、結局その誘いには応じなかったのであった。

まわりが浮かれ騒いでいると、逆に殻に閉じこもって、静かにひそやかに自分だけのことをしていたくなる。生来の「へそ曲り」なのだ。

いま改めて冷静に内省してみると、みんなが同じ感情において一体化している、といったことが、どうも苦手なのである。そして、そこから外れる人に共感を抱くことが多いようにも思うのである。そもそも感情(感動)というべきものは、個々人の心のなかに湧くものであって、それは決して周りからの強制によって生起するものではない。それを強いられるとき、鬱陶しい、忌避したい、といった感覚が私の中に渦巻く、ということに気づいたのである。

でも、私は、いわゆる「偏屈者」ではないつもり。あくまでも、ちょっとした「へそ曲り」のレベルである、との弁解はしておきたい。

2021.7.3