2018年 夢追い

張貼日期:Dec 24, 2018 4:39:15 AM

「夢」という語の意味としては、「眠っているときに現れるもの」が原義であるが、それが転じて、「現実ではないもの、はかないもの」を表すようになった。さらには、「将来に思い描く理想像、抱負」といった意味が加わった。この最後の意味は、近代になってから欧米語の影響によって追加されたものである。

本来の日本語では、「夢」は、「現実ではないので、望んでも叶えられないこと」の喩えであった。それが「ドリーム」という語に重ねられて、アメリカンドリームのごとく、「叶えられるべきこと」といった意味合いが「夢」に新しく生じたわけである。

かつて、大学に勤め始めた頃であったが、教え子の大学院生から、酒席で、「先生の夢はなんですか」と質問されたことがある。その時、すぐには答えられなかったことを思い出す。実際、叶えられない密かな願望を夢にみることはあるが、将来の抱負などといったものについてはあまり考えることがなかったからである。その時は、「特にないけど…」と応じたのであるが、多分、尊大な言い方に感じ取られたのだろう、相手から、「先生はすべてを得て、幸せなのですね」と言われてしまった。

そこで、「君の夢は何?」と尋ねた。回答は、「世界一周をすることかな…」、「月に行くことかな…」といった内容だった。「世界一周なんぞ、やる気があればすぐにもできるんじゃないのか」、「月なんか、絶対に行きたくないな」などと思ったが、黙って頷いていた。

私だって、それぞれの過程で、その都度の目標を立てて、それを叶える努力をしつつ生きてきた。努力すれば叶えられないことなどない、という信念で。ただ、明るく無邪気に「将来に抱いている夢」とか「果てしなく広がる夢」とかいった表現を耳にすると、何だか胡散臭いなと感じてしまうのである。

「私の夢」などと公言する前にやるべきことがあるのでは、というのが、根暗かつ偏屈者の意見である。

(2018.12.24)