張貼日期:Oct 30, 2019 11:44:32 PM
近年は大きな「学会」からは遠ざかってしまったが、この時節になると、昔日の学会でのことがいろいろと思い出されてくる。
方言研究の世界で、「生活語」研究としての方言学を実践し、その精神において多くの共鳴者を生み出した藤原与一氏が、かつて、ある学会の挨拶で述べた表現を懐かしく想起する。それは、「花瓶の一輪の花の傾きに地球の重さを感じることができるような人であってほしい」といった内容であった。私の心の引出しの中に大切にしまってあることばの一つである。
今は亡き藤原氏のことを思い出した瞬間、かつて読んだ氏の随想の内容が頭に浮かんだ。確か「愛心愛語」という題目だったので、書棚を探って調べてみた。それは、『ことばと教育』(1977、6)に載せられたものであった。
その一節を掲げよう。
孫娘のことである。
夕方になっても、外出のおばあちゃんが帰らないので、私のところへ慰問に来てくれた。
“オバーチャンガ、”
ここまで言った時は、「まだ帰らないね。」という顔をしていた。
ところが、一呼吸おいて、
“モー スグ カエル ネ。”
と言ったのである。驚いた。愛心がぴんときた。もったいないほどの愛語だ。
ここに一つ、日本語のだいじな問題があるのを書き添える。「I do not…….」というような言語であったら、途中で物の言い方を変えることはできない。「私は……ません。」の日本語であると、私どもは、「ません」を「ましょう」にも変えることができる。孫娘は、「オバーチャンガ→まだ帰らない。」との思いを転換させて、「もうすぐ帰る。」のほうへ、心とことばを移していった。
日本語は、おもしろいところで、愛心の表現をかなえてくれている。
(2019.11.1)