張貼日期:Nov 29, 2018 1:29:6 AM
母の書斎を整理していて見つけた遺稿から;
敗戦直後の混乱の中で、自分の進むべき道を見失いそうになったとき、教師としての新しい道を示してくださったのが、石田外茂一先生だった。
石田先生は、大正15年に東京帝国大学を卒業なさり、東京にお住まいだったが、思うところがあって、昭和20年の春に五箇山(上平村)へ移住してこられたのだった。
そしてとうとうやってきた敗戦の日、「来るべきものが来たのだ。少しも驚くことはない。これからが大変だが、私自身は人を殺すことなく戦争が終わったことを神に感謝している」とおっしゃった。そのとき、不思議に気持が落ちついたのを覚えている。
それからの、石田校長のもとでの数年間のことが、次から次へと思いおこされる。
放課後の職員室で、詩や和歌を作り、お互いに批評しあった。校長先生が「ほう、こりゃいいなあ」とおっしゃりながら、うれしそうにひげをなでられる様子が見えるようだ。また、ある日は、ピアノの周りに集まって合唱をする。食べ物もままならぬ時代に、そんなことをしていた学校は多くはなかったと思う。それが私たちの心をどれだけ和やかに豊かにしてくれたことか。また、読書は大切なのだよ、とおっしゃって、古本屋を探し回って本を求めてきてくださった…。
日本の歴史の中に、石器時代というものがあったという話を、放課後の職員室の雑談の中で初めて聞いた。開田にために土を掘り起こしている場所から、今まで私たちが目にもとめなかった石片を拾い上げて、これが石器の破片だ、と教えられたときは、ほんとうに驚いたものだった…。
母の三回忌を前にして記す。
(2018.12.1)