2020年  時代情況をファイリングする

張貼日期:Apr 30, 2020 12:47:24 AM

『丸山薫全集』を改めて読み返している。その中の「学生デモに思う」という文章が目に留まった。

これは、丸山が1960年5月3日に「名古屋タイムズ」に寄稿した文章を収録したものである。その一節を抄出しよう。

警官と装甲車のかき根に突撃する学生デモ隊――そのすさまじい怒号ともみ合いの光景をテレビニュースで見ていると、とにかく批判をこえて、果敢な若さのもつ力がひしひしと迫ってくる。あれだけのファイトとエネルギーをもっと明るい心身の鍛錬や生産の方へ役立てたらと思うのは、私ひとりだけのことだろうか。

学生だから生産には縁はないとしても、事実は、およそデモに参加するほどの学生にスポーツに身を入れる者などほとんどないようである。いや、むしろ彼らにとってスポーツなど無意味であり、知性を曇らす阿片であり、それに反して学生運動こそ青春をかけるに値すると考える者が大半であるにちがいない。

スポーツとデモと果していずれが彼らに有意義か?それを決めるものは日本内外の現実に対する認識であろう。破壊にいら立つ革命青年の気持は、火が燃えなければ放火してまでも煙を望みたがる。先日26日のチャペルセンターでの全学連主流派デモ隊の独走ぶりも、そんな焦燥と錯覚に酔う心理のさせたことであろう。

ちょうど60年前の話である。そして、その10年後の1970年、私は例の大学紛争の渦中にいた。その時のさまざまな情景がまぶたに焼き付いている。

そして、先ごろの香港での激しいデモの様相がそこに重なるのである。あの香港における歴史的情況は、「スポーツに身を入れる者」ばかりのように見える今の日本の若者たちの頭や心にどのようにファイリングされたのであろうか。

(2020.5.1)