張貼日期:Mar 14, 2019 11:41:20 AM
三省堂の高等学校「国語」教科書の編修に携わったのは、1970年代の後半から80年代初頭にかけてであった。
編修委員がそれぞれ持ち寄ったさまざまな文学作品や評論について、全員でその一つ一つを読み込み、教材として適性かどうかについて、幾度となく討議を重ね、採用の当否を決定していくのである。その過程での緊張感と、未知の作品に触れることのできる高揚感は今も脳裏に鮮明である。
種々の論稿を取捨選択して一本に編集するテクニックなどはその折に身に付けることができたのだ、と自分なりに思っている。
当時、編修の基本精神は「人間教育」と「反戦教育」である、と先輩の委員らからよく聞かせられたものであった。
教科書に採択された作品の多くは、すでに忘却のかなたにあるのだが、今でも思い出すのは、ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトの戯曲「例外と原則」(千田是也訳)の一節を収載することをめぐってのことである。ブレヒトは、アウクスブルクの富裕な家に生れたが、第一次世界大戦の末期に召集され、その後、反戦思想に目覚めたのだという。
ブレヒトについては、日本でも彼の戯曲集や演劇論が翻訳刊行され、また、教育劇としての「例外と原則」もいくつかの演劇集団によって上演されているので、今日、多くの人に知られていよう。
かつて、文部省での当該教科書の内容チェックのために編集者と一緒に出向いた際、教科書調査官から、「共産主義国においてさえ採択されていないようなものを、何故に載せるのか。」と、まじめな顔で問われ、複雑な感情を心に抱いたことが思い出される。
(2019.3.15)