2012年 雨水

張貼日期:Jan 31, 2012 2:32:28 AM

タイの洪水のニュースを聞かなくなった。もう復興したのだろうか。

タイに関するニュースを聞くにつれ、バンコクに滞在した、かつての日々のことを思い出すのである。その滞在中、古寺を巡礼した。そこで往々尋ねられたのは、生まれた日の曜日であった。

それまで自分の生まれ日の曜日など、まったく意識したこともなかったし、知ることもなかった。仏教国のタイでは自分の生まれた曜日を重要視する習慣がある。寺院ではそれぞれの曜日にちなんだ仏像がならんでいるのが普通で、人々は自分の生まれた曜日の仏陀を拝むのである。

私の生まれたのは、1946(昭和21)年2 月24日である。調べたところ、その日は日曜日であった。

日曜日の仏陀は、両手を腹の上に右手を上にして組み、菩提樹を見つめている姿の立像である。タイ語では、プラ・プッタループ・パーンタワーイネート。その仏像は、仏陀が菩提樹の下で7日間の瞑想を行ったときの姿で、瞬きもせずに見つめ続けた(眼を献上する)という物語を表しているのだという。

ところで、この日の前後、日本はどのような時代であったのだろうか。webの「昭和ラプソディ」には、次のような記事がある。

昭和21年2月24日、朝日新聞朝刊には「救いなき人々の姿探訪記」と題したルポが掲載された。それによれば上野界隈には3000人から5000人の浮浪者が巣くい、山の防空壕に住む者など様々で、朝夕はガード下で焚火などをして暖をとっていた。仕事を持つ者は朝は10銭の切符で山手線を2回りして暖をとり、職場へと向かっていた。少年組は靴磨きを行い、1日の売り上げは100円ほどで、食事は闇市の屋台でとり、余った金は賭博などにまわしていた。少年らの兄貴分ともなるとポマードを髪になでつけ、さながら街の紳士風だった。一方、哀れ極まりないのが老人や子連れの中年女で、池の向かい側の厚生会館で窮死者続出の悲惨な生活を送っていた。4月には東京の行き倒れ死者は1日5人を数える状態にあった。

2012.2.1