2009年 極月

張貼日期:Mar 05, 2011 6:10:5 AM

高岡新報(北日本新聞の前身の一つ)は、大正7年8月4日、「女軍米屋に 薄(せま)る」という見出しで、西水橋町(現富山市)から始まった「米騒動」について伝えている。この記事が「米騒動」の全国的拡大への引き金となったのである。大正7年8月7日の「狼煙(のろし) 揚がる県下の窮民蜂起」と題する論評は、記者、井上江花によるものであった。

井上江花は、特に社会問題に関心を寄せ、多彩な言論活動を展開した新聞人として識者の脳裏に刻されている人物である。明治初期に起きた農民運動「ばんどり騒動」の本質を、地元の古老から取材し、オーラルヒストリーの形をとって、明治37年に高岡新報に連載している。

「ばんどり騒動」は、明治2年の秋、越中の新川地方で勃発した農民の大暴動である。当時の新川はまだ加賀藩の支配下にあった。その年の凶作にもかかわらず在村役人層の十村(大庄屋)らの年貢収納が例年と変わらなかったこともあって、農民たちの不満が一挙に爆発したのである。行動を起こした(十村宅などへの襲撃に加わった)農民たちの多くが「ばんどり」(藁で編んだ雨具)を付けていたことから、世に「ばんどり騒動」と称されることとなった。

閑話休題

「米騒動」「ばんどり騒動」という表現にかかわって、「騒動」と「事件」との違いを考えた。たとえば、明治17年の晩秋、埼玉の秩父の農民たちが政府に対して起こした武装蜂起事件は、当初、それを鎮圧した明治政府によって、「秩父騒動」「秩父暴動」などと称され、無秩序な一部暴徒の騒動と決めつけられていた。しかし、徐々に事件の内実が明るみに出るにしたがって、事件そのものが単なる暴動ではないことが分かり、今の名称(「秩父事件」)に定着したのである。

歴史上の事件は、その当事者の立場で見るか、圧制者、鎮圧者の立場で見るか、あるいは第三者の立場で客観的に見るかによって表現が変わるのだ、という点に思いを致したいものである。

2009.12.2