2019年 古いものはすべて良いもの?

張貼日期:Apr 30, 2019 11:29:57 PM

私は、日本各地の伝統的方言の調査、そしてその実態記録を主たる研究対象としてきた。古くからの伝統方言は、日本の各地で、急激に、そして確実に消滅の道を歩んでいる。その記録の重要性について否定する人はいないであろう。

伝統方言が、いわば文化財の地位のものにまつり上げられつつある情況の中で、一部の地域では、若者たちが伝統的方言と標準語の混じり合ったものを自分たちの共通語(普通語)として運用しているという実態がある。私は私なりに、そのようなプロセスの追究もまた重要だと考え、その様相の記録に従ってきた。

かつて、ある考古学者が、“古いものほど良いものなのだ”と主張していたことを思い出す。考古学的遺物に関しては確かにそうなのかもしれない。しかし、方言の場合はどうか。

たとえば、ふるさと五箇山方言における恋愛結婚を意味した「ナジミゾイ」という表現。優しい響きもあって、復活すべき貴重な雅言であると唱える人がいる。しかし、これは本来、村社会の集団的意向に逆らって勝手に個人同士の意思だけで結婚する行動を揶揄する表現であった。また、狭い土地ゆえの大家族制度のもとで、次男・三男らは分家もできず、婿養子になるか村を出ていかない限り、「ヒネオジ」と称され、生涯独身暮らしを強いられて厄介者扱いされる例が多くあった。さらに、結婚適齢期を過ぎても実家に残って働いた女性たちは「オバイ」、「ムスメババ」などと称されて侮蔑の対象となった。

私は、このような、差別や排除にかかわるようなもの、偏見によって生まれた表現形式などは、反省の材料としてその記録を必要とするとしても、保護すべきものではなく、当然に消えるべき、あるいは消すべき対象であると考えている。

私は、方言については、伝統的なものをすべて神格化するような動きや、古いものがすべて良いものだとするような立場には与しない。

(2019.5.1:改元の日に)