張貼日期:Mar 05, 2011 6:8:18 AM
奈良に住まいするようになったのはまったくの偶然である。国立国語研究所から大阪大学文学部に配置換えになった折、当方の宿舎要求に対して供されたのが奈良市学園大和町の公務員合同宿舎であった。今を去る27年前のことである。その後、この土地に慣れて、学園前に住居を定めることとなったのである。
伯父の家族も奈良の橿原市に住んでいる。伯父が奈良に住むようになったのも偶然であった。伯父は明治末期に五箇山で生まれた。長男ではあったが、自分は山仕事には向かない身体であると悟って、都会に出ることを決意したのだそうである。大正12年(1923年)のことである。最初、東京をめざし、上京したのはその年9月1日の朝であった。例の関東大震災が東京を襲ったのは、その日の午前11時58分のこと。伯父は上京の数時間後に壊滅しつつある東京の町を目に焼き付けたのであった。
伯父は生前、その様相を何度も語り聞かせてくれたものである。
伯父は東京から転じて、郷里の知人で、大和で売薬業に従事していた人のもとに身を寄せることになった。それが奈良に住居を定めるきっかけとなったのである。真田家の長男が二代そろって奈良住まいをするようになったというわけである。
偶然と言えば、今は亡き義父のことも忘れられない。義父は戦争末期の1945年、軍属として広島で勤務していた。大阪への出張依頼を受け、広島市を発ったのは8月5日の夜であった。数日後に帰って目にしたのは廃墟と化した町であった。荒漠として、はるか遠くまでが見渡せたという。そのとき、「これで日本は完全に負けた」と心の底から思ったそうである。
人間の運命の不思議さということを感ぜずにはいられない。
2009.9.1