張貼日期:Mar 05, 2011 4:42:59 AM
今は昔。明治初期の生まれであった祖父、弥作じいさんが折にふれて、「しんじ、タイラ(隣村の平村)の者なんぞに負けたらダチカンゾ(だめだぞ)」と激励してくれたことを思い出す。
子供の頃は隣の村が遠い外界としての存在なのであった。山峡の五箇山*から出たことのない或る人が、山中から富山平野部へ越える細尾峠にはじめて立って、広大な砺波散居村をながめながら、「アコ(あそこ)も日本なのか」と感慨深げに言ったとか。
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富山県西南端、上平村・平村・利賀村の総称
その外界が、生育するにつれて、しだいに近い存在となってきた。これは一個人の成長に関することだが、社会もまたその進展とともに、互いが近くなっている。その状況は、別の表現をすれば、地球がだんだんと狭くなってきている、ということでもある。
かつて個々に存在した村落が村として統合し、村々が町として統合し、町々が市として統合されていった。そして市同士の合併。現今の広域コミュニティ構想もまたその流れのなかにあるわけである*。しかし、それはまちがいなく地域社会の共同体意識の弱化に拍車をかける行為であるということを認識しておくべきであろう。
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富山県西南部の上平村・平村・利賀村・井口村・井波町・城端町・福光町・福野町の8町村は、合併して「南砺市」となることが最近決まった由。
インターネットの普及で地球は本当に狭くなった。地球の裏側に住む人と直接に瞬時に心を交わすことができる。しかし、その一方で、マンションでの隣部屋の人のことがまったく分からないのである。隣の家がいまや遠い外界としての存在になってしまった。
2003.9.1