張貼日期:Mar 05, 2011 6:8:55 AM
稲刈りの時節になった。
この季節、稲穂の匂いを嗅ぐと思い出されることがある。
それは中学3年生の秋のこと。その年、父が結核を患って、夏以降、町のサナトリウムに入っていた。祖母は老齢、母は勤務があって終日忙しい、ということで、家の田圃の稲刈りが私に託されることになったのである。
いまから考えると、誰も私に稲刈りをしろと命令したわけでなく、そもそも子供の私がやらなくても周囲に助けてくる人がいたはずで、何だか変なのだが、その時はすべての責任が自分にかかっているような錯覚にかられ、かつ生来の内向的な性格ゆえに誰にも言えず、毎日、学校から帰るとすぐに田圃に走り、稲刈りに勤しんだのである。
受験勉強どころではなかった。
稲刈りといっても単に刈るだけではない。刈った稲を揃え、それを集めて、一つの束に結わえるのである。その作業を手袋なしで進めたものだから手が稲の葉で切れ、傷だらけになった。さらに、稲束をそれぞれ逆に立たせて田一面に広げていくのである。穂を乾燥させるためである。全面に広げ終わった頃に空が曇って雨になりそうだったりすると、それまでの作業が水の泡。すべてをまた一か所に戻して稲塚(にょう)にしなくてはならない。現代からすると何とも原始的な作業であった。
そんな無理がたたって病気になってしまった。
村の診療所に入院していたある日、父が一時帰宅を許されて久しぶりに帰ってきた。病気の父が病気の息子の見舞いというわけである。
臥せっている私を見つめる父の目が潤んでいた。その場面が脳裏に鮮明に浮かぶ。
2009.10.1