張貼日期:Apr 01, 2014 12:47:39 AM
雑務の合間を縫ってフランス映画を見てきた。映画の原題はQuelques heures de printempsなので、和訳すれば「春のひととき」か。しかし、その邦題は「母の身終い」。
この邦題の表記が気になった。国語辞書の類には「身仕舞い」という表記しか見えない。「身仕舞い」とは身なりを整えることである。化粧をしたり着飾ったりすることである。身支度とも言う。ただし、「仕舞い」という語にはことがらの最終局面といった意味もある。いわゆる「おしまい」である。だからであろう、「人生の身じまい」といった表現が葬儀社のコピーなどには散見する。遺言についての紹介文にも、「先に逝く者が家族に残す最後のことば。それは人生の身仕舞い、身づくろい」というのがあった。
さて、この映画は、癌細胞が脳にまで転移して治癒の可能性がなくなった独り住まいの女性がターミナルケアの勧めを拒否して、自殺幇助による尊厳死を選択するといった設定で、その間の独身の息子(48歳)との日常のさまざまな葛藤、そして心の絆を描いたものである。
その点からすれば、邦題の「身終い」という表記は、人生最期の、最終の身支度というニュアンスを醸し出すためのストラテジーとして上手い表現だな、と思ったことである。
女性の凛とした態度(と言っても、スイスの尊厳死を仲介する団体の責任者が、その意思を確認する際に、「あなたの人生は幸せだったか」と聞いたのに対し、彼女は、「人生は人生なので」とだけ平静に返す、その心持ちを察すると、凛としたという表現は不適なのではあるが)、自律に徹した姿勢には心動かされるものがあった。
もちろん、この映画の主題は尊厳死にあるわけではないのだが、なにより尊厳死を援助するNPOの存在や、自殺幇助が認められているということ自体、私にとっては新鮮で、共感を覚えるところもあって、考えさせられた。
2014.4.1