2016年 再生

張貼日期:May 01, 2016 3:8:36 AM

いままで、「個から社会を捉える」という視点からの言語研究を進めてきた(つもりである)。「個人というミクロの中にマクロがある」などと公言したこともある。

この「ミクロの中にマクロがある」といった言辞には、個人を、いわば社会を代表するモデルとして捉える、といった観点を含ませていたことは否めないところである。

研究の過程では、ライフヒストリーの研究方法からも強い刺激を受けた。しかし、そこでは個人の広汎な生をどのように切り取るのか、その複雑な生の諸相を、観察する側の分析枠の中だけに収斂させてしまう嫌いがあるのではないか、といった疑念も抱いた。

さて、私が薩南・琉球諸島での言語調査に着手したのは1975年のことである。初めて接する琉球方言の印象は強烈であった。その本土方言との乖離の大きさに比べれば本土方言の中の東西の対立などはなんと小さなことか、と思ったことである。その後の奄美・沖縄行は私にとっていろいろな意味で感慨深い経験であった。「もう戦争は起こらないでしょうね」と真剣なまなざしで問いかけてきた奄美大島のTおばあちゃん、彼女は先の大戦で2人の子どもを亡くしたという。「軍用機は我が島の上を一機たりとも飛ばさせない」と空に向かって叫んでいた宮古島のYおじいちゃん。この人たちの言葉を忘れはしない。私の研究の原動力は確かにそこにあった。しかし、その経験を内包した学的論文をいまだ書けないでいる。論文という体裁の記述においては、この人たちの情念のありようを抹殺せざるを得ないからである。

そんなことを思い巡らしていたとき、斎藤剛さんの文章(「個への視座、個からの視座」民博通信152)が目に入った。少しばかり再生への実感が湧いてきたのである。

国民国家内外における民族や宗教間の対立の激化、政治経済構造の劇的な変化が世界各地で認められる中で、社会、文化、民族などの諸概念が差異化・対立・分断など負の契機を内包していることが指摘されて久しいが、これらの近代的な認識パラダイムの限界は、それらが社会や歴史を現実に動かしている生身の個人の具体性から乖離している点にある(中略)個人を対象とする研究においては、もちろん例外もあるものの、そこで扱われる個人と調査者との人間的な付き合いの深さや、その個人が調査者の人生を揺さぶり、その生のありかたを内側から変えていくような刻印を深く刻み込んでいく点については、学問外の個人的経験として後景に退けられてきてしまった。(中略)硬直した枠組みや体系化の下では周辺化されてしまっている視点を呼び込むこと、人々の息づかいや言葉の端々にそこはかとなく浮かんでは消えていく感慨や逡巡、怖れや喜びに注意を傾けつつ、人々の生への理解を深めてゆくこと、これが個人に着目する視点が目指すものである。

2016.5.1