2020年 個別性への気づき

張貼日期:May 14, 2020 12:12:50 AM

いままで、言語研究において、個人を軸とした視点で、また個別の事例に焦点をあてるやり方で研究を展開してきた。一集落での個々人の敬語行動を対象とした、いわゆる「リーグ戦式面接調査法」もその一つである。

かつて、ある学会のシンポジウムで、「研究においては、それ相当の“数”が必要であり、かつ、あくまでも科学的な数量化やコード化が肝要なのだ」として、私などの研究を強く批判した人がいた。

そのような言辞に対するわだかまりは、しかし、三宅和子さんの言及に触れることで解けていったのであった。その部分を掲げる。

20世紀的発想では、研究は科学的な根拠をもって主張を証明するとこが求められ、同じ調査や実験をしたら同じ答えが出てくることが必要でしたね。言語研究だとアンケート調査や条件を変えた実験調査などをして結果を数量として数えたりコード化したりして主張の根拠とします。しかし、この数量化やコード化には落とし穴があります。整然としてはいるけど、白と黒の間の灰色部分を無視しなければ白と黒に分けられない。でもその灰色の部分が私たちのリアリティですよね。21世紀の今、個別性の強い流動的な現実を生きていることへの気づきも高まっています。「科学的」に数量的に見ていくことによってかえって見えなくなることが多いのではないでしょうか。

(川上郁雄・三宅和子・岩崎典子編『移動とことば』くろしお出版2018から)

その後、三宅さんから個人的にもらったお便りの中に、「数の呪縛からは多くの方がなかなか逃れられないようです。私も完全に逃れられないでいるのですが、少なくとも数を掲げて鬼の首でも取ったようにしているのは無神経だと思います。そこからこぼれ落ちることへの着目とか未練とかがないのでしょうか。数では語れないことがあまりにも多いのに。」というつぶやきがあった。

まさに同志を得た思いで、すっきりと晴れた気分になったのである。

(2020.5.15)