2019年 「酸味がございますね」

張貼日期:Jun 17, 2019 11:50:46 PM

下町に住まいするようになって、本質的な「下町情緒」に浸ってみたい、と思っているのだが、実際には難しそうである。そういえば、下町で過ごしたことのある土屋信一さんと、かつて東京弁について対談したことがあった。その折の土屋さんの話を思い出した。一部を掲げる(拙書『地域語のダイナミズム』から)。

土屋:下町には人が住まなくなってしまった。「下町情緒」とか「江戸情緒」とかいうものだって、何がなんだかわからない。「東京の山の手ことば」なんていうのは、実はもっとわからないんですね。東京の山の手というのはどこなのか、江戸の山の手すらよくわかっていない。

それで東京がどんどんドーナツ化現象を起こして、「ダサイタマ」なんて言うけれど、東京の外側に準東京ができ上ってくる。そうすると、その土地のことばづかいがいつの間にか入り込んで新しいことばができる。地方から来た人はそれが東京のことばだと思いますから、みんなで使う。全国で「共通語」として使われる東京語は実は関東周辺のことばを吸収してできているものなのですね。

田中章夫さんの研究で、「~しちゃった」という言い方は東京弁ではなく関東方言だという指摘があった。これは言われるまで気がつかなかった。よく関西の漫才師が東京弁のまねをすると、「シビヤ(日比谷)公園へ行っちゃった」なんてやるわけです。「~しちゃった」というのは東京弁の典型的なものとされるんだけど、実は文献を調べると江戸時代には1例もないわけです。

真田:そうですか。ということは、周辺部の田舎のことばって感じ?

土屋:はい。僕は高松にいた時、NHKを聞いていて気づいたんですが、房総の館山あたりで、花を育てている農家のおじいさん、おばあさんの話し方が全部「~しちゃう」なんです。高松で聞くと非常に耳障りに聞こえました。「なんだこの人、東京弁のまねしてるんじゃないか」と。たぶん西日本にいる人は同じように感じると思うんです。でも、実は東京弁じゃない。

真田:「~しちゃった」とか「それでさあ」などという言い方は、地方の人たちにとってはある程度プレステージがありますよ。格好よく見せるときに使うというか。そうすると、東京の人とは違う感覚ですね。

かつて、徳川宗賢さんから、「“酸っぱい”などというのは、田舎人のことばで、われわれ東京人のことばではないよ。」と言われて、戸惑ったことがあった。私にとっての日常語は「酸い」であったが、改まったときには「酸っぱい」と表現していたからである。「では、たとえば、お見合いの席で酸っぱいレモンのことを話題にするような場合には何と言うのですか。」と問うたところ、「酸味がございますね、だね。」との答えが返ってきた。

(2019.6.18)