2020年 五箇山と雫石

張貼日期:Feb 29, 2020 12:26:51 AM

畏友の東大名誉教授、上野善道さんの回想文(「人間の言語能力と言語多様性-言語に向き合う視点-」)を読んで、いま一つ感じたことがある。

それは、同じ世代として、同じような境涯において、戦後の時代を生きてきた、という点での感懐である。

少し長い引用になるが、お許し願いたい。

戦後間もなく岩手県雫石町に生まれ、両親・祖父母とも同じ町内出身の家庭で方言の中で育ち、中学1年のときにテレビが入って高校3年で東京オリンピックを見たものの、18歳で上京するまで東京アクセントを意識したこともなかった私である。それと苦闘しているうちに、気が付いたら日本語アクセントが専門になっていて、その専門分野でさえ日暮れて道遠しの心境であるが、振り返ってみると、その体験が自分の言語観、研究観に大きく影響していることが意識される。(中略)

(アクセントの調査は)まずは家族から始めたが、明治21(1888)年生まれながら、女は学校に行く必要はないと言われて一度も教育を受けず、平仮名さえ読めなかった祖母の頭の中には、大学で勉強した私と同じ体系(のやや古いもの)が入っているのみならず、学校や本で覚えた知識だけの単語とは異なり、実際の生活の中でしっかり身に付けた単語が豊富にあって汲めども尽きぬ泉であり、言語に学歴や文字は関係ないことを知ったのも大きかった。(中略)なお、祖父については、毎晩一緒の布団に寝て昔話を聞いて育ったので、私の方言の根幹は祖父の言葉にあるように思う。しかし、その方言を調べる前に亡くなり、記録は残せなかった。

(嶋田珠巳・斎藤兆史・大津由紀夫編『言語接触』東京大学出版会2019 から)

私も、五箇山で、彼と同様な環境のもとに幼児期を過ごした。その後の事象の巡り方もまた彼と共有するところが多いので、その情意が身に沁みるのである。「似た者同士」などと言ったら僭越なのだが、二人がかくも似通っていることが不思議にも思われるのである。

(2020.3.1)