2010年 睦月

張貼日期:Mar 05, 2011 6:10:41 AM

仙台での学生時代。

同じ下宿屋のはなれに住まいしていた、ある先輩(たしか、地球物理学を専攻していた院生であった)と一番丁の街路で出会った折の、彼が見せた笑顔、その優しい眼差しが心に残っている。

彼にとってはすれ違いざまの何でもない仕草だったのだろうが、当時、壊れかけていたわたしはその微笑に救われる思いがしたのである。大袈裟に言えば、生きる希望がわいたのであった。 40年以上も前の、若き日のことである。

そのことを心に刻みながら、今も悩める学生たちと道ですれ違う折などにはできるだけ笑顔を返すように努めている。

生家を離れて生活するようになったのは高校1年生からであった。それから何度引っ越しをしたことか、数え切れないくらいである。引っ越すたびに、持ち物を思い切って捨ててきた。ただし、今までに捨てられず、ずっとわたしにくっついてきた物がある。それは、左手を頬にあて、首をかしげて目を閉じたまま微笑している少女の姿をかたどった小さな「土偶」である。

いつもはまったく意識していない。しかし、それは年末の大掃除のときなど必ず本棚の奥から現れて自己主張をする。ここまで来たら離すわけにはいかない、と観念してもいるのである。

先日、斑鳩の中宮寺を再訪し、例の弥勒菩薩像とじっくり対面する機会を得た。

清純な気品をたたえる優美なる半跏思惟像に、わが「土偶」は及ぶべくもないのだが、互いの微笑にはどこか共通するものがあることを発見した次第である。

2010.1.5