2019年 断章

張貼日期:Jan 02, 2019 2:37:11 AM

小さい頃から、人の先頭に立つようなことは絶対にしたくないと思う小心者的性格がずっと変わらなかったように思う。

今までの人生において、そのような立場になりそうになったときはさまざまな策略を弄して忌避してきたのであった(もちろん、策を弄する時間的余裕がなく、そのような役割を嫌々ながら受け入れざるを得なかったこともなくはないが)。

開き直って、「チョーとつくものには決してなりたくない、モーチョーもダッチョーも同じ!」などと豪語していたものである。

かつて、堀田善衛の『定家明月記私抄』を読み、そのなかに藤原定家の一言、「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。」が引用されていて、その最後の一文に感動し、生意気にも「自分もそうだ」などと思ったことが想起される。

堀田は、戦時中、いつ召集令状が来て戦地に赴くことになるかも分からない情況の中で、定家の『明月記』に出会い、鎌倉時代初期の貴族政権から武家政権への移行期の動乱の中、貴族である定家が、「政情なんか俺の知ったことか」と言い放ったことに驚愕したのであった。その思いを、次のように書いている。

定家のこの一言は、当時の文学青年たちにとって胸に痛いほどのものであった。自分がはじめたわけでもない戦争によって、まだ文学の仕事をはじめてもいないのに戦場でとり殺されるかもしれぬ時に、戦争などおれの知ったことか、とは、もとより言いたくても言えぬことであり、それは胸の張裂けるような思いを経験させたものであった。

(『定家明月記私抄』ちくま学芸文庫による)

「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」、これは白氏文集の中の詩の一節の援用なのであるが、定家は、自分は自分、歌の道だけでいいのだという、その強い意思をこの表現に託したわけである。そのことを深く考えるにつけ、微小なわがことに引き付けて「自分もそうだ」などと思ったことが恥ずかしくもなってきた。

(2019.1.2)