2012年 端陽

張貼日期:May 04, 2012 11:40:23 AM

最近、菊地暁さんによって、京都の新村出記念財団の重山文庫等に所蔵されている柳田国男から新村出への書簡群が紹介された(「拝啓 新村出様―柳田国男書簡からみる民俗学史断章―」 『国立歴史民俗学博物館研究報告』165)。

注目されるのは、昭和15年10月13日に創設された日本方言学会をめぐっての書簡である。柳田は、この学会の初代会長であったが、次期会長に決まっていた新村に対し、当時の学会の状況について、次のような言及をしている。

只今の大きな心配は、折角会が出来舞台はとヽのつても皆が尻込をして何も発表しないで居こと、物笑ひに絶りはすまいかといふことです。少しかあとで訂正せられるやうなことでもどしどし言つてのけるやうな勇気を若い人たちにもたせたいと思つて居ります。それで私の在任中に一度ハ大会にて何か御話して下され、且つ尻込座の尻を打つことに御手を御貸し下され候やう夙くから願つて置きます。只今の形勢では全く任期を一年にして置いてよかつたと思ふばかりです。何の為に学会を作つたらうかという感じもしないでハありません。

(昭和16年1月5日付書簡)

ここに、当時の方言研究界の閉塞状況を見てとることができる。だがしかし、このような研究不振の要因には、太平洋戦争の始まる直前といった時代性が関与しているのだろう。

なお、柳田書簡には、学会の資金繰りに関して、以下のような、いわば形振り構わぬ金策の提案といった、生々しい言及も存在する。

学位に非ずして此会に関心をもつ大人物、平たくいふなら金を出し助けてくれさうな人には前に名誉会員になつてもらふ方がよく無いかと存し候。どうか御賛成被下度候実ハ放送協会ヽ長を入れたき下心に候。文部大臣もと存しをり候。

(昭和15年11月3日付書簡)

学会とはいえ、その組織の運営者は、世俗、あるいは政治と関わらざるを得ないといった現実を改めて見せつけられる思いである。

2012.5.5