2019年 椰子の実

張貼日期:Mar 31, 2019 2:14:36 AM

このたび、NHKラジオ第2放送の「声でつづる昭和人物史」という番組で、柳田国男の肉声をじっくりと聞くことができた。

印象的だったのは、あの晦渋な文章、そして諷刺的な筆致から伺われる人物像とは異なって、その声からは温厚で実直な人柄が感じられたことである(役人であったが故のやや上から目線的な話し方もないではなかったが)。

その昔、柳田の奥様にインタビューした人から、奥様が、「あの人は婿ですから……」とおっしゃっていたと聞いたことがある。あの知の巨人も尻に敷かれる局面があったのか、と思ったことが改めて頭をよぎったのであった。

柳田の『蝸牛考』における方言周圏論の意義やその経緯について、かつて全集での「解説」を書いたことがある(ちくま文庫『柳田國男全集』19、1990)。

その後も、柳田の思想の揺れ(周圏論の後退)や日本語一元説の蹉跌に関して、少しばかり論じてきた。

拙論の一端を記そう。

日本文化の形成における「海上の道」を、最晩年にいたってではあるが構想した柳田である。柳田のなかには自らの長い探究のなかで培った、異質の文化や異質の言語との接触・混交、さらには民族の多元性といった本質的な課題が迫ってきていたはずなのである。“日本語の地域的な多様性は、異質な文化が重層的に存在することよってもたらされたものである”といった点を、一番に肌で感じていたのは、実は、当の柳田だったのではなかろうか。そこに、柳田の晩年における周圏論にかかわる沈黙の本当の理由があるのだろう、と私はひそかに思っているのである。

あるとき、兵庫県の学校の校長が集う会での講演において、周圏論の陥穽をめぐっての話をした。その折、ある方が、「あなたは郷土の先達を貶めるのですか。」と宣ったことが忘れられない。そのような短絡的な見方こそが柳田の最も嫌った点ではないのかと、その場で言及しかったのだが、心に留めたことであった。

(2019.4.1)