2012年 天高し

張貼日期:Oct 01, 2012 6:37:31 AM

全国高校総合文化祭(第36回)がこの8月に富山県内で開幕された由。その期間中、全国の約3400校の生徒たち約2万人が、演劇や文芸など計23部門で日頃の活動や研究の成果を発表したという。

思い起こすのは、1958年(昭和33年)の10月、富山県内で開催された第13回秋季国民体育大会のことである。私は当時12歳、中学1年生だった。割り当てられた開会式への参加者数に対応する人選が村であり、なぜか私がその限定参加者の一人として選ばれたのである。これには、村の議会議員をしていた父の干渉があったのではないかと後で思うところがあったが、その疑いは自分の心の中だけに止めることにした。

開会式当日、抽選に当たった数十人が1台のバスで富山市の会場に向かった。このころ私は車に乗るとすぐに酔ってしまうので、乗車を極度に嫌っていた。この時も途中で気分が悪くなって嘔吐感をもよおしたが、周りが知らない人ばかりなので我慢をしていて、つい膝の上に吐いてしまった。しかし、隣席の人に知られないよう手で蔽い、うつむき加減でズボンの膝からお尻の部分が乾くのを待ったのである。会場に到着した頃には、ズボンはやや乾いていたが汚れたまま、メンバーに付き従い、ふらつきながら会場である競技場に入った。

しばらくして、会場全体が響めいた。天皇の到着であった。あちこちで万歳の声が上がった。しかし、私は気分すぐれず、頭を抱え、うつむいて嘔吐を繰り返していた。開会式の終わり頃には少し鎮静化してきて、帰りの沿道では、群衆に応じて帽子を振りつつ、にこやかに闊歩する昭和天皇を間近に見ることができたのであったが。

その「国体」の折にたたき込まれた「富山県民の歌」は、今でも自然に口をついて出る。「長野県民の歌」を長野県出身者であれば必ず歌えるということが往々話題となるが、われわれ世代の富山県出身者もそれに劣らず、なのである。

2012.10.1