2019年 無敬語

張貼日期:Jul 13, 2019 11:25:18 PM

ここ数年、富山大学の中井精一さんを中心に「無敬語」地域をテーマとした研究が進められた。その調査の過程では地元の話者から「無敬語」という表現に対して異議の唱えられることが多かったという。

しかし、そこで言う「無敬語」とは、いわゆる「尊敬語、謙譲語、丁寧語」に限定して、それを表示する形式がない、あるいは少ないことを指しての謂いである。

たとえば、北関東の茨城県とその周辺は「無敬語地帯」と称されることがある。しかし、もちろんこの地域においても、さまざまな人間関係から発する配慮の表現は当然のこととして存在する。

確かに、茨城県の伝統方言では、いわゆる尊敬語が十分には整っていなかったので、例えば、「お行きになる」「いらっしゃる」「行かれる」などの表現形式は欠如していた。

茨城県結城郡石下町出身の作家、長塚節は、故郷を舞台にした小説「土」を1910年に東京朝日新聞に連載したが、その会話文では現地のことばを活写している。それは当時の農村生活の精密な描写にふさわしく極めて忠実なものである、と言われている。その一節を掲げよう(表記は一部修正)。

おつぎ:おとっつぁ、あの太鼓は何処だんべ。

勘次:どれ、あの遠くのがか、分かるもんか何処だか。

おつぎ:俺ら方へはまあだ、ほか村から来る頃ぢゃあんめえな。

勘次:おとっつぁ等がにゃ分かるもんかよ、そんなこと。

おつぎ:そんでも、ほか村から来たんだって云っけぞ、支度して来るんだって 俺ら今日あたま結ってて聞いたんだぞ。

ただし、この小説の発表から100年以上もが経過した現在、地元の人々にとっても、ここでのような表現はなじみの薄いものとなっていよう。

ちなみに、敬語の複雑な地、奈良で育ち、茨城の牛久沼の畔で生活した作家の住井すゑ は、かつて、エッセイ「言語と文化」のなかで、次のように書いている。

これまで丁寧で耳ざわりがよいとのみ思っていたふるさと大和の言葉使いのなかに、実は男女の差別や、身分、階級による使い分けが厳然として控えているのに気がついた。それにくらべ、老若男女、一様に“おれ”“おめえ”“んだ”“よかっぺ”と、単純明快な会話でつづられる湖畔のくらし。この方がはるかに人間的であり、文化的にまさるのではないか?とも思うようになった。

(2019.7.14)