2005年 霜月

張貼日期:Mar 05, 2011 5:35:25 AM

作家、新田次郎と藤原ていの間に生まれた藤原咲子さんが、幼児期の記憶をラジオで語っているのを聞いた。

それは、満州からの引き揚げのとき、母の背負ったリュックのなかにいて、一人北極星を見つめていたが、何か恐ろしいものが迫ってくるようで怖かった、というような内容であった。藤原さんは、1945年の生まれ、私と同世代である。だから、そのとき彼女はまだ乳飲み子だったはず。(彼女の『母への詫び状』は読んでいない。)

実は、私にもまだハイハイをしていたころの記憶がある。ハイハイをしていたのであるから、それはたぶん1歳前後の頃であったろう。家の中を這い回ったあげくに必ず行き着く場所があった。そこで頭を持ち上げると目の前に大きな丸い模様があり、それにさわると何かざらざらとした感触で指先が刺激されるのであった。その模様と感触がなぜか忘れられなくて、そこに到達することが自分の毎日のノルマのようになった。そのモザイクは私にとっての、いわばイコンなのであった(と今でも思い出すことができる―― あるいは少なくとも思い出すことができると信じている)。

大人になってからの或る日、帰省した折りにその模様のある場所を探したことがある。居間の柱の、床から20㎝ほどのところにそれはあった。それはなんと直径2㎝くらいの、柱の小さな傷(削り取られた枝の年輪の跡)に過ぎないものなのであった。

2005.11.21