2014年 抜け殻

張貼日期:Jul 31, 2014 12:29:47 PM

祖母は、1883年、明治16年の生まれである。

当時の五箇山では文字を読むことのできる女性は大変に珍しかったようである。子どもの頃、祖母が友人との雑談中に、「あの女(ひと)は新聞が読めるそうじゃ」などとうわさをしているのを耳にしたことがある。優しく、聡明な祖母ではあったが、おそらくリテラシーは欠いていたのだと思う。

その祖母が、あるとき思い出したように、「そういや、このところしばらくいくさ(戦争)がないのう」と述懐したことがあった。私は、それに応じて、知ったかぶりで、「日本はもう戦争はしないって決めたんだよ。軍隊もなくなったんだし」と教え諭したのであった。

計算してみると、祖母が11歳のときに日清戦争が始まった。21歳のときに日露戦争が始まった。31歳のときに第一次世界大戦が始まった。そして満州事変は48歳のとき、日中戦争の開始は54歳のとき、太平洋戦争の開始は58歳のときである。

祖母にとっては、いくさ(戦争)というものが日常茶飯事なのであった、と思い知らされる。

翻って、昨今の解釈改憲をめぐる論議に思いをいたすのである。それは具体的には憲法における「戦争はしない」という宣言を、「しかし、できる戦争についてはやれるのだ」と強引に解釈するものである。

子どもの頃に抱いた希望がしだいに打ち砕かれつつある現況にむなしさを感じるのであるが、東アジアの情勢をめぐる経過を鑑みるとき、私たちの世代が考えた平和観は、長い歴史の中では、一瞬の光明に過ぎなかったのかもしれない、とも思う。

2014.8.1