2019年 ことばと差別

張貼日期:Aug 31, 2019 5:20:48 AM

標識や看板、広告などの表現を対象にした「言語景観」という研究分野がある。私はその領域の中に差別、排除といった視点からの考察も含めるべきなのではないか、と考えている。そのことを志向する原点は、かつて読んで衝撃を受けた山之口獏の「私の青年時代」(『山之口獏全集』3)の中での記述である。

その一節を掲げよう。山之口は沖縄県に生まれた(明治36年~昭和38年)。

ぼくはかつて(大正十二年)、関西のある工場の見習い工募集の門前広告に、「但し朝鮮人と琉球人はお断り」とあるのを発見した。その工場にとってそれだけの理由はあるのであったろうが、それにしても気持ちのいいものではなかった。またある人は、彼の文章の中で、ぼくの詩をたたえるのあまり、「彼が琉球人であるからではない。」と付け加えていたが、そのことばの裏には、明らかに琉球人を特殊的な目でみていることを感じないわけにはいかなかった。それでぼくにとっては、出張から帰ってきたその男が、どのような目で沖縄を見ているかに関心を寄せないではいられなかったが、酋長の家に招待されて、大きなどんぶりで泡盛を飲んだんだだの、土人がどうのこうのという調子なのである。沖縄人のぼくでさえ見も知らぬ遠いどこかの国の話かと思うようなイメージをそそられるのであった。それが旅行者の楽しみであろうとは思いながらも、一抹の哀感に襲われてしまうのは、決して沖縄人であるからというそのせいばかりではないのである。この男の話を聞いて喫茶店の娘は瞠目しているばかりなのであるが、その目の前にいるぼくを、沖縄人だと知ったら、どうなることだろうとぼくは思わずにはいられなかった。ぼくはかねがね、ルンペン生活をなんとか卒業して、この娘に結婚を申し込むつもりの間がらになっていたからなのでもあったのだ。

山之口は、大正11年(関東大震災の前年)の秋に東京に出て、さまざまな職業を転々とし、貧困と放浪の生活を送りながら詩作をした。作品には、ユーモラス、かつ風刺性に富んだものが多い。改めて「全集」を読み直している。

(2019.9.1)