張貼日期:Mar 05, 2011 6:11:46 AM
比較方言学(比較言語学)の立場からなされているとされる従来の地域語アクセントの系譜をめぐる研究のありかたに関して、最近、次のように述べた。
従来の説における、「一型アクセントは京阪式アクセントが変化したもの」というのは、「中央語が周縁地域へ攻め込んでいって、その地域において本来のアクセントを変えさせられた結果」と読めば(「崩壊」というのは攻めこんだ「中央語の崩壊」なのであって、その地域語自体の崩壊ではない。地域語はその崩壊に関与した張本人、と読めば)良いのではないか、と私は考える。旧説論者のすべてが「各地域に元々から京阪式アクセントがあった」と言っているのではない、と思うのである。地域の人々が(あるいは研究者までもが)、この地にもかつては中央語と同じものがあった、と考えること自体 に問題がある(誤解がある)のである。本来の比較方言学では中央語(祖形)の変化しか扱っていない(扱えない)はずなのに、そのような誤解を生じさせた原因は、金田一春彦先生や平山輝男先生たちの、現象の把握に対する説明不足、いわばことば足らずの点にもあるのではないか、と私には思われるのである。
(「前衛派 山口幸洋さんの研究について」『方言研究の前衛』桂書房、2008)
この記述に対して、金田一氏の薫陶を受けた研究者の方々から、「金田一氏についての言辞こそことば足らず”なのではないか」、「金田一先生もまさにそのようなことを仰っておられた」とする指摘をいただいた。金田一氏は、かつて次のような解説をしている。
たとえば、今の関東方言は、平安朝時代の近畿方言の系統だと言ったりする。その場合、平安朝、関東地方は,当時の近畿地方と同じ方言が行われていたと考えるわけではない。当時まったくちがった方言が行われていたかもしれないし、その可能性は大きい。しかしその後、いつの時代かに近畿方言がこの地へ入ってきて、それが関東固有の方言の影響を受けつつ、今の関東方言になったと考えるのである。」(「比較方言学」『国語学大事典』東京堂出版、1980)
私の発言は、確かに「ことば足らず」というか、「舌足らず」であったと反省しているところである。しかしながら、なぜ、(地域語研究者との間で)行き違いが生じてしまったのか。そこにはどうも言語地理学がからんでいるように思われるのである。そのあたりの背景を追究する必要がありそうだ。
2010.3.1