2011年 緑・翠
張貼日期:May 10, 2011 11:54:10 AM
久しぶりに故郷五箇山の春祭りに出かけた。阪大時代の教え子の有志と一緒であった。
新緑のなか、各戸を巡る獅子舞を見物しながら、それを運営する若い人たちの何人かに一世代前の彼らの親と瓜二つの顔を認めた。何だか不思議な気がした。
獅子には「親獅子」と「子獅子」の2種類があった。「子獅子」は「親獅子」の後をついて回るのであるが、この「子獅子」はかつて存在しなかった。聞けば、地域の子どもたちのすべてに参加してもらい、獅子舞をしっかりと伝承してもらうことを目的として創出したものだそうである。
昔も特に獅子取り(獅子の相手をする童子)は子どもの役割だったので、村の友人たちは、この期、その練習に明け暮れていたものである。
しかし、何故か、わたしにはその役割がまわってこなかった。母が、「お前はやらなくてもいい」的なことを言っていたように記憶している。配慮はわかるのだが、差別的な指導でもあったな、と今は思う。
あるとき、祖母が、隣のおばあさんと話をしていて、「うちの子は何もできない子で。笛も吹けず、太鼓もたたけず……」と、わたしを評価しているのが聞こえた。
それまでわたしに向かっては褒めちぎっていたのに何故、とその時、祖母をうらめしく思い、急に心的な距離を感じたことを覚えている。もちろんその評価は祖母の本心からのものではなく、社交上の悲しき謙遜ではあったのだが。
2011.5.11