2014年 シンパシー

張貼日期:Oct 31, 2014 2:27:19 PM

これまで何冊かの本を執筆してきた。それぞれについて、題名(書名)を呻吟しつつ考える、その名付けの過程はまさに愉悦の時間でもあった。

そのなかに、実は、内容と書名とが異なってしまい、いまも心地のあまりよくないものがある。『方言は絶滅するのか-自分のことばを失った日本人』(2001)もその一冊。この本については、「方言に固執するのではなく、個人の心性に適った自分なりのことばを発見する」といった内容で書き進め、まとめたものであった。しかし、書名については、最終的に出版社側からの強い要請に折れてしまった。(売るために)時流に乗る、というのがその要請の理由であることが分かっていたから(・のに)、である。

その本が新聞広告に載ったとき、新潟県在住のある方から、出版社にコメントが寄せられた。それは、「絶滅」などという題名を付ける著者のセンスを疑う、消えるべき方言もあるのではないか、といった内容であった。それこそが私の述べたかったことだったので、その方に本を送呈するとともに、詳しく経緯を記した手紙を送ったのであった。返事には、「読まないで批判してしまった、書名は出版社が付けたものだったことを知らなくて、申し訳ない」といったことが書かれていた。

当時、その本の編集に携わってくれたのが三島邦弘さんであった。三島さん個人には本の構成や記述に関して細やかな意見をいただいて感謝していた。ただ、書名については、何度か電話でやり合ったのである。その折々の上司の指示を伝える三島さんの声が何だかシンドそうだったので、あるシンパシーを感じ、それがずっと心に残ったのであった。

そして10年後の2011年、新聞で『計画と無計画のあいだ』という本が紹介されていて、著者:三島邦弘とあった。あっと思って、早速に買い求めた。そこで三島さんの心根を深く理解することになり、私の思い(感覚)も的外れではなかったことを認識したのであった。その共感は、このたび新しく著された『失われた感覚を求めて』を読んでも変わるところがない。たえず「原点回帰」を標榜するミシマ社代表、三島さんの出版活動を余所ながら見守りたいと思う。

2014.11.1