2008年 重陽

張貼日期:Mar 05, 2011 5:58:44 AM

函館空港の待合室でサハリン行きの飛行機を待っていたときのことである。

近くの席で、どうしても日本人としか見えない年配の男女が、日本語にロシア語をまじえてしゃべっているのが聞こえた。

しばらくして、男性が突然に飲み物を床にこぼした。見ていると、カウンターに走り、布巾をもらってきて床を拭きつつ、「愛する祖国の土をよごしてしまった」とつぶやいたのである。その表現が耳に残った。

その男性、油本清榮さんに数日後ユジノサハリンスクでインタビューすることになろうとは夢にも思わなかった。予定していたインフォーマントの家に出向いた折、まさに偶然に彼と再会したのである。実はその予定していたインフォーマントの妹が彼の奥さんなのであった。

油本さんは北方領土の歯舞諸島、水晶島で生まれた。水晶島は納沙布岬から7kmの近距離にある。ここは大正期に越中衆(富山県人)が開拓した島で、コンブ漁で栄えた。昭和初期の人口は約1,000人、その半数以上が富山県人で、富山弁が共通語になっていた島である。

ソ連軍の侵入は油本さんの小学校1年生のときであった。彼の家族は引き揚げができなかった。当時、日本人でもテクノクラートたちの帰還は許されなかった由である。その後、彼はロシア語を学び、ロシア人として働いた。現在は奥さんとともに日本に帰国、千葉市に住んでいる。このたびの旅は彼らの「里帰り」なのであった。

油本さんの御両親も富山・魚津の出身であったという。彼の話す日本語の韻律にも富山弁の名残が感じられた。

2008.9.9