2012年 桃の酒

張貼日期:Mar 01, 2012 11:50:53 AM

上野界隈の池といえば、先日シアターコクーンで見た唐十郎作・蜷川幸雄演出の「下谷万年町物語」での一場面を思い出す。

物語の舞台は、敗戦後の上野駅と鶯谷の間にあって、オカマ(男娼)がたむろしていた下谷万年町。町には彼らの嬌声が響いて喧しい。その猥雑でグロテスクにみえる民衆の笑いが、権威的なものをおとしめ、翻って民衆の身体的な力を肯定する、といった蜷川演出は見応えがあった。

オカマたちが一同に会したそのとき、舞台前面に設置された池(瓢箪池)の中から男装の麗人キティが現れる。キティはコンプレックスを抱え、人とうまく関係を築けないが、それでも信じる人がいて、自分が解放されるのではないかと思うところにまっすぐに向かっていく女性。その役を宮沢りえさんが演じていた。宮沢さんは蜷川作品には今回が初参加であるが、舞台をさっそうと駈けぬける、そのエネルギッシュな姿や彼女独特の透明性のあるセリフ回しが、グロテスクな情念とも相俟って、何とも不思議な空気を醸し出していた。

蜷川幸雄さんは今年の末にイスラエルでギリシャ悲劇「トロイアの女たち」を公演する予定とのこと。これは戦争で愛する人を失った女性たちの運命を叙情的に描いた作品であるが、ユダヤ人、アラブ系イスラエル人、そして日本人の役者がそれぞれの言語で演じるという。

蜷川さんはインタビューの中で、次のように語っている(朝日新聞2 月4日付け朝刊)。

――三つの民族、言語で演じることの意味は?

「演劇は、人間同士がコミュニケーションしなければ成り立たない。異質の言語が飛び交う中で、必死に相手の言うことを聞こうとする。鋭敏な感覚で、言葉の裏側にある内的な言語に到達することが求められる。それが我々が日常怠っている根源的なものを求める力になっていく。そのことが唯一の希望です。いい俳優は言語を超えていくんです」

2012.3.3