2013年 June

張貼日期:May 31, 2013 5:54:36 PM

美しいジュノーの月がまためぐってきた。

潤いながらも透き通った少女の瞳を彷彿させる梅雨合間の湿り気味の深緑の麗しい天空を、今、書斎の窓から眺めている。

このところ、なんだか慌ただしい日々の営為にかまけて、しばらく空を見上げることもなく過ごしてきた。心の余裕を失っていた日常であった、との反省しきりである。

少年の頃、ふるさとの山の中腹にあった茅を刈り取ったあとの草むら(「茅場」)で、ひとり寝ころびながら見つめていた、あのときの天空の色合いが脳裏で重なった。

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心

石川啄木『一握の砂』の中に見つけたこの歌に自分の少年時代の思いを重ねて心躍らせたのは高校生になってからであった。

青春時代の一コマがまた蘇ってきた。

啄木に魅せられ、大学の学部時代、同志を誘って「啄木研究会」なるものを結成、主宰したことがある。しかし、あるとき、文献輪読の場で「卑怯」という語を、思わず「ひほう」と読みそうになったことがあった。おそらくその瞬間の私の戸惑いには誰も気づかなかったと思われるのだが、以来、自己嫌悪に陥ることになった。プライドが許さなかったのだ。そして、まもなく自分の意思のみで研究会を解散してしまった。

文学を捨てる決意をしたのは、もちろんそれが原因ではなく、言語学・方言学を学び、その魅力にとりつかれたことによるのだが、今現在も、『知ってるようでよく間違う日本語』(PHP研究所)などといった本の監修に自ら進んでたずさわったりしているのは、内観するところ、そのときのトラウマが尾を引いているような気がするのである。

2013.6.1