「アレルギー性結膜炎手記」
13歳男性2012年7月12日
13歳男性2012年7月12日
息子が最初に目の痒みを訴えたのは8年前の2004年6月、小学1年の夏でした。最初は、いつも学校でプールに入った後に痒くなったので、塩素の刺激によるものかと思っていましたが、しだいにプールに入らない日も痒みを訴えるようになりました。眼科に連れて行くと「アレルギー性結膜炎」と診断され、すぐに目薬が処方されました。しかし、その目薬の処方箋を見ると、「ステロイド」の文字が。子供の目というデリケートな場所に「ステロイド」が、しかも初回の診察で簡単に処方されたことに不信を覚え、それっきり医者には通わなくなりました。処方された「ステロイド目薬」もすぐに処分しました。
その後も、息子の目は頻繁に痒くなり、市販のノンステ痒み止め(抗ヒスタミン)で、なんとか痒みをごまかす毎日でした。しかし、目の痒みは年々悪化し、痒み止めの目薬も効き難くなり、ついに5年後(小学5年)の夏、全く効かなくなりました。痒みは、朝起きた時から始まり、一旦治まっても昼間また襲ってくる、そして食事中も寝る前も、眠っている時以外は、いつでも何度でも襲ってきました。いったん痒くなると、耐えられない痒みが何時間も続き、息子は激しく痒みを訴えながら目を掻きまくりました。真っ赤に腫れた息子の目を保冷剤で冷やす他にはどうしてやることも出来ず、苦しむ息子を前に途方に暮れるばかりでした。強く掻くことで角膜を傷つけるかもしれない、という不安もありました。学校も、痒みが治まるのを待って遅れて登校したり、痒みで早退したり、夏休みが近づく頃には休みがちになっていました。追い詰められ、やっと決心した私は、夏休み中の8月中旬、息子を高槻に(再び!)連れて行きました。
実は、発症して間もない小学一年の頃、既に一度息子を連れて松本漢方クリニックを訪れていました。松本漢方クリニックのことは、以前よりHPを通じて知っており、アレルギー体質の息子もいつかはお世話になるだろうと思っておりました。松本先生のアレルギー治療に関する理論を読ませていただき、つたない素人範囲の理解ではありますが、目からウロコが落ちる思いがしたものです。特に、「自然後天的免疫寛容」は、アレルギーは一生完治しないと思っていた私には、衝撃であり福音でした。しかし、せっかく処方していただいた漢方薬ですが、当時、息子はどうしても受け付けることができず、むりやり飲んでは吐くの毎日。私は、愚かにも、「子どもには無理」と、簡単に服用を諦めてしまったのです。
(後に、先生からは、勝手な判断で止めたことをずいぶんと叱られましたが)
そして、藁をもすがる思いで、再び飲み始めた漢方薬。今度は、息子自身も「痒みから解放されたい」の一心で、進んで飲む様になりました。2週間後の2学期始業式に朝から出席することを目標に、毎日欠かさず飲みました。
途中、思う様に効果が出ず電話で弱音を吐く私に松本先生から叱咤激励をいただいたり、より有効な種類の漢方に変えていたただいたり。
そして、服用開始から18日目、ついに全く痒みのない朝を迎えることができたのです。始業式には数日間に合いませんでしたが、その日を境に、症状は劇的に良くなっていきました。朝友達と一緒に登校し、目が痒くなる不安もなく勉強し、放課後も友達と一緒におもいっきり遊ぶことが出来る。体育の水泳も、最初は恐る恐る参加しましたが、痒みの症状は全く出ず、漢方が効いていると実感しました。
息子は、今も漢方煎じ薬を服用中です。昨年(服用から1年)は、6月に数日軽い痒みがありましたが、すぐに治まりました。
そして今年(服用から2年後)は、今のところ症状は全く出ていません。
毎日激しい痒みと戦っていた頃を思うと、松本先生と漢方薬に、感謝の気持ちでいっぱいです。
「自然後天的免疫寛容」まではもう一息でしょうか。
それまで、松本先生、今後も宜しくお願いします。