「子宮癌・卵巣癌手記」(ご主人記述)
匿名希望45歳2014年10月1日
匿名希望45歳2014年10月1日
「子宮癌・卵巣癌手記」(ご主人記述)匿名希望45歳2014年10月1日
H24年12月に私の嫁は癌と告知され、某大学病院で開腹手術による子宮と卵巣の一部とリンパ節の一部を摘出しました。初期だとの診断でホルモン療法を希望しましたが、年齢のこともあり子供を授かる少ない可能性より、本人の命のために先生に諭されやむなく手術する事になりました。手術は無事終わり、術後2週間程度で退院し、3ヶ月に一度の血液検査をして異常なく平穏な生活を取り戻したかのように思ってましたが、腹部の激痛によって、また不安な日々に逆戻りしました。術後約半年で癌の再発… 担当医からは、こぶし大の腫瘍が腹膜に見られる事から、抗癌剤で小さくしてから手術といわれました。
実は、癌の告知をされてからも、手術することを決断してからも、ネットや書籍で、いろいろ調べて手術という選択が、本当に正しいのか?他の選択肢は無いのかと… 暇さえあれば探していました。その時に、癌放置、癌もどき、抗癌剤は効かないなど、近藤誠先生や中村仁一先生の書籍を古い物も新しい物も読み、安保徹先生の免疫力などなど… 手術以外の選択肢を模索していました。さらに遡れば数年前から、健康のためには小食がいいのでは… たぶんきっかけはネットだったと思いますが、断食、特に甲田療法に興味を持ち、松井二郎氏の1日2食健康法というメルマガを読んでいくうちに、松井さんがクローン病で大阪高槻の松本漢方クリニックに通っているということを知り、難病のこと、ステロイドのこと、病気とか医学業界のこと、なにより松本先生のことにすごく興味が出て、先生の理論や患者さんの手記など、よく読んでいました。しかし、残念なことに癌は、遺伝子の異常であり、病気では無いとのこと…
癌が再発し、このまま不信感を抱いたまま大学病院のいいなりになれば… と最悪のことが頭をよぎり、近藤先生のセカンドオピニオンを受ける事にしました。とはいっても、再発と診断されてから、迷いに迷った揚げ句でしたので、もう3ヶ月近く経過していて、おなかの腫瘍はどんどん大きくなり、普段の生活、歩くこと階段の上り下りが辛くなっていたが、東京まで診断を受けに行きました。近藤先生は、あなたの癌は、故逸見さんのスキルス性胃癌に似た、たちの悪い本物の癌だと… すでに、おなかが大きくなって(もう20cm以上)、腸などを圧迫して苦しいので、その症状を軽減、これ以上進行しないようにする為に、放射線を正常な臓器に当たらないように、軽く(2グレイ×5回)するようにいわれた。放射線は、大学病院ですることにしましたが、担当医とすったもんだがあり、なんとか自分達の望む治療をしてもらうことに決まり、放射線をすることになりました。そして放射線治療後のことを考えている時に、やっぱり気になっていた松本漢方クリニックのHPを読み返してみたのですが、なんとうれしいことに、癌と中国医学の免疫療法というコラムの中に『松本漢方クリニックも、これから東京の真柄医院の真柄先生に見習って、積極的に癌の漢方・鍼灸治療を始めることを宣言します。~~2013/08』と書いてあったのです。なんという巡り合わせ、絶妙のタイミング。すぐにバスを手配して、数日後に向かいました。
松本漢方クリニック受診。H25年10月
松本漢方クリニックに最初に入ったときの感想など、いっぱいあるのですが長くなるので割愛します… 松本先生から、最初に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」っていわれました。何となくその意味は、自分の身を犠牲にすれば、何かが出来るってことだろうと思ったけど、それが何を意味しているのか…? 先生は愛読している英字新聞のコピーを取り出して、東京の真柄先生が免疫を上げる事で癌患者さんに喜ばれているという内容の記事、これを見て積極的にやるようになったと、でも、それには癌が治ったとは書いていないと… 説明してくれました。私達もHPで見て来た事や、これまでの経緯などを話しました。その途中にも次から次へと電話の子機とカルテがセットでやってくるわ、後ろでは看護士さんがファックスやカルテを取りにひっきりなしに通る。すごくこぢんまりとした診察室で、待合室まで聞こえていた声は、患者さんを見ながら、別の患者さんとの電話だった。患者さんの手記に書いているとおりだ… でも、こんな忙しく慌ただしい状況とは、思ってなかったので、びっくりした。先生は70歳を越えられているけど、見た目はスマートで、やせ形でダンディー? いや、少し胡散臭そうな風貌に見えました(笑)が… 患者さんと電話で話している内容を全く隠さず、この人は、~病で、あんな、こんな症状があったけど、今はこの症状だけになっている。もう少しで、あれもこれも治るんや~って、目の前の私達に、少しでも参考になる事を、同じような症状の人が、治ってきている事を教えてくれるように話してくれた。『漢方はすごいで~、なんせ中国の何人もの天才が何千年もかけて作り上げたもんやで。でも、俺が病気を治すんやない、漢方が病気を治すんでもないよ、自分が、自分の免疫が治すんや!俺はそれを少し手助けしているだけや、漢方やら鍼灸を使って、免疫を上げているだけや』って。本当に正直で、何よりも自信に満ちあふれていて、まっすぐな人だと直感しました。時には、電話で患者さんをしかりつけたりもしてるし、ちょっと思い違った事をいって、それを訂正されると、素直に謝っている。ホント裏表なく、一人ひとりを真正面から見てくれる人なんだろうなと感じました。今までの大学病院では、担当医の意に反する事をいっても受け入れないような雰囲気と、予約してすら長い待ち時間があり、診察時間が数分なんてことがよくあった。再発といわれたとき、抗癌剤だけは本当に嫌だと、いくらいっても、治療はその方法しか無いと… もうそれならばとセカンドオピニオンして、希望の治療法を押し通した結果、担当医とは、少し気まずくなったが、抗癌剤の効く確率なんてせいぜい30%で、副作用は100%あるにもかかわらず、それ以外の治療法はないとの返答しかもらえず、免疫療法等は相手にしてももらえませんでした。最初は、初期だから手術をすれば治るといっておいて、退院後の検査は3ヶ月後、それも血液検査だけ、次の検査はまた3ヶ月後。その2回目の検査日よりも少し前に激痛で運ばれて、CT等の検査して、再発している模様だと… その時には、大きくなって、腹膜に陰も見えるため、全て取り切ることが難しいので、まず抗癌剤で小さくして、その後手術するとの説明だった… そんな説明には到底納得できず、ただただ不信感が募るだけだった。でも大多数の患者さんは不信感があっても(あるのか無いのか?不明だけど)先生のいいなりに抗癌剤をするんだろうなって思った。そんな患者さんばかりだから、私たちの反応、いや反抗に担当医は相当困惑してたみたい。もっと自分自身が勉強しなくては、医学の知識では勝てないからといって、全部先生のいいなりでは、後悔しそうな気がして、いや必ず後悔する時が来る。だから自分の命は自分で守る、死に方だって自分で決める。今後、どうありたいか、どう生きたいか、どう死にたいか、全て自分で決める。まあ、嫁のことなんですがね… でも、決めなければ、抗癌剤をした後では取り返しが付かないと思い、抗癌剤はしない、今後手術もしないと決断しました。
その決断をするにあたり、いや決断をした後かな、互いの両親、家族には説明をしました… 再発と診断されてから、いろいろと自分の考えは伝えてはきましたが、家族でも生死の話題、ましてや自分自身の生死を話す事なんて、ほぼ無い訳ですから… まあ納得してもらうというより松本先生の理論、考え方を詳しく知ってもらうことを主に話しました。それで抗癌剤や手術をせず松本先生に診てもらう決断したことの報告をしました。
最初は、一般的なことから、知り合いや親戚が癌治療して成功した例を出してきて、大学病院の先生のいうとおりにした方がいいんじゃないか、といっていた家族も、何度か説明している内に、自分らの体のことやから自分らが納得して決めたことをしたらいいって… なんとか理解してもらえた訳です。しかしその後でも、松本先生に会うまでは、少し不安を抱いていたのは事実です。
話しが飛んでってしまいましたが… 松本先生と話をしたり、電話を聞いていると、本当に治るんだろうなって思える。でも、癌については、治るとはいってくれない。その他の病気は、化学物質とヘルペスが原因で、外部から侵入した異物との戦いであり、ヘルペスは、絶滅させることはできないけど、封じ込める事は出来る。化学物質は、免疫寛容を起こし共存できる。でも、癌は、自分の細胞が変異したものなので、外部からの異物との戦いで無く、自分自身の細胞との戦いだから、癌の治療法や薬などは見つけ出されてはいないし、今後も発見されないと… それでも松本先生は、『俺は、癌は治せないけど、漢方やお灸で免疫を上げて、自分のカで癌を治して。そんで、治ったら俺にも教えてや、本出してみんなにも教えてや。』って… ここで、『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』の意図する事がようやくわかった。自分の身を捨てる覚悟で、癌と闘いなさい(当然、武器は自分の免疫だ)、その気持ちが本物であれば必ず道は開けると、俺が戦う武器を強化する方法を教えるから、俺を信じて戦えって事だと思った。たとえそれを克服できなくても、手記や本を出す事で、多くの患者さんに勇気を与え、悩んでいる事が少しでも解消されれば、少しでも役に立つことができる。こんな考えは、自分の生死を真正面から見なければ考えの及ばない所だと思う。また、本当に癌を克服できれば、いわゆる癌の三大療法(手術、抗癌剤、放射線)に変わる、免疫力を高める漢方による治療が出来るかもしれない。すごく勇気をもらえたし、先生に従って漢方を続ければ治るって思った。少し感じていた不安なんて、もうどこかへ飛んでいって微塵のかけらも無かった。
そんなこんなで、診察と鍼灸と帰りに薬局で漢方をもらって帰り、その日から漢方薬を煎じる日々が始まりました。漢方って2週間分ももらうとすごくかさばります。最初は持って帰りましたが、次からは電話して着払いで送ってもらってます。少し味見をしましたが、最初はカレーのような臭いと、後に残る甘みと苦みがあり、飲みにくいかなって思ってましたが、すぐ慣れたようです。僕はもったいないし、お茶代わりに二番煎じを飲むようにしてました。二番煎じだと飲みやすいですね。漢方は劇的な変化が無いけど、ゆっくりと効いてくるとのことで、最初はあまり変化を感じず、しばらくは、体調も良くなったり、戻ったりとしてましたが、続ける内にどんどん良くなっているのがわかったみたいです。毎日、ヘルペスの薬、漢方とお灸の日々~約3ヶ月間。
2回目の松本漢方クリニック受診。H26年1月下旬
先生からは、問題なければ別にこなくてもいいといわれてたんですが、嫁が約3ヶ月と短期間でよくなってきて、うれしいのでその報告と、血液検査をしてもらいたいということで受診しました。松本先生は会うなり、顔色が良く、おなかも目立たなくなってきているのを見て、『君(嫁)が主治医です。君が素直だから治ってきているんだ。俺が治したんじゃ無い。最近、電話の声も変わってきてたが、顔つきも見違えるほど良くなったね。病気を何が作るか理解したから、君の心が治したんや』って優しくいってもらえて、すごくうれしかった。嫁は、先生の教えてくれたとおりにしただけだし、特に何かを頑張ったわけでもない。毎日、ヘルペスの薬と漢方を飲んで、お灸をしていただけ、まあ、仕事を休んでストレスから解放されたことも、免疫力アップには大きいのでしょうね。
僕はその二番煎じを飲んでますが、それが原因かな、両腕に丸く皮膚が乾いたようなものが出てきたので、ついでに先生に聞くと、『アトピーじゃよ。症状が出ることは、ええことや言うとるやろ、気になるようなら、漢方だすけど、悪いもん出し切ったら治るよ。自分の免疫が治してくれるよ。』って、なんだか、松本理論を身をもって体験できたように思えてうれしかった。血液検査ですが、最初の検査で『免疫が8しかない、放射線の影響か、免疫が下がりすぎてる』っていわれていたので、今回それが倍の16にまで回復してました。ただ正常値は、さらにその倍以上の40~85です。この数値は白血球全体のうちリンパ球がどれだけ占めるか。つまりリンパ球の割合で免疫力のことだそうです。以前の松井二郎氏のメルマガに免疫が12%で「死にぎわの老人の数値や(笑)」って松本先生にいわれたって書いてあったのを思い出して、読み返してみました。漢方を続けることでこれからもっとどんどん良くなっていくはずです。それと、心と病気は密接に関係しているって事を、今更ながら感じております。嫁のプライベートなことなので、詳しくは書きませんが、ストレス、特に仕事、人間関係でストレスは知らず知らず日々溜まります。性格もいろいろ関係して、さらには家族であっても心の中までは、わからないし、性格なんてものは、小さな頃からの親や友だちや周りの人間環境で積み重なり形成されたものだと思うし、これからも変わるはずだと思うのですが… このあたりは、文章にするのはとても難しいですね。これは本人で無いと…割愛…
今回は、途中経過としてまとめてみました。まだまだわからないことだらけですが、これからも西洋医学に頼らずに… というか、もっともっと自分自身で考え、行動していきたいと思います。自分の免疫を信じて、自分自身を信じて、松本先生に教えていただいたことを実践して、健康を取り戻して、二人で楽しい人生にしたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。