「リウマチ性多発筋痛症手」

KM 59 歳2014 年 3 月 17 日

「リウマチ性多発筋痛症」闘病手記

1.発症まで

10年前、甲状腺機能充進症の治療を始めてから半年後、乳がんがみつかった。

甲状腺の治療薬はそれから7年、乳がんの術後ホルモン療法の薬は5年続いた。

術後3年を過ぎた頃からボランティアに誘われ、活動を少しずつ始めていき徐々に増えていった。日々の家事に加え趣味の習い事やボランティア、超大型犬の飼い犬の世話や散歩等々、良い言葉を使えば充実していた。が、自分の中ではぎりぎりで余裕がなかった。

そんな中一昨年(2012年)3月、夫の母が亡くなった。ひとり暮らしのため福祉の手を借りながらそこそこ元気にしていたが、衰えは急だった。その後は家を片付けたたむ手続き、店(たばこ店)をたたむ手続き等で忙しかった。それらを四十九日の内に済まそうとする夫のやり方についていくのはとても大変だった。

地域の役員もやっていたこの年は、さすがに体が三つほしいと思った。

そうこうして忙しさで飼い犬の面倒もろくにみないでいたのか、犬がストレスからか皮膚病を発症した。もともとアレルギーのある子でドッグフードが食べられず、食餌は手作り食でいたが、獣医の診断はアレルギー性皮膚炎。処方された薬は抗生物質とステロイド。

初めはとてもよく効いて見事に消えたが、薬をやめるとまたぶり返す、を繰り返した。

激しく痒がるため飼い主は見ていられず、獣医の処方するままステロイドを与え続けた。

2か月後ごろから副作用とおぼしき症状が出始めた。脱毛、色素異常、目の異常。

「副作用ではないか?」と尋ねる飼い主に獣医の答えは「ステロイドの副作用ではない、アレルギーです」(当時ステロイドに無知だったことが悔やまれます)真に受けてまた飲ませた。

副作用の症状は日に日にひどくなり、獣医を変えた。「薬はすべてやめましょう」それからは今にして思えばリバウンドだったと思う。年があらたまり昨年(2013年)1月ごろからさらに日に日に弱っていき、血尿、下痢、地肌が透けるほどの全身脱毛、辛そうな様子、わからないなりにもステロイドのせいだと確信した。飼い犬を抱きしめ「(獣医の言葉を鵜呑みにしてこんなことになって)ごめんね、ごめんね」と謝り涙が止まらなかった。「いいのだよ、母さん」と逆にこちらを慰める前足のしぐさにまた涙が止まらなかった。

何としても助けたいと必死の介抱を続け、食餌は検査で出たアレルゲンを回避しながらも、手作り食だけでは栄養が偏ると思い、質の良いドッグフードを提供しているところをネットで探した。夫がみつけてくれた。バランスの良い食餌で少しずつ力をとりもどし、元気になった。嬉しかったし+犬の食餌づくり(実はとても大変でした)からも解放された。

一方そのころ夫の母の一周忌の法要もあり、これを済ませ、同時に自宅の一部を少し模様替えしていた工事も終わった。この間とても忙しく、頑張っていたように思う。

昨年4月初旬、すべてが解決終了し、「ああ、ラクになったなあ・・体調もいいし、痛いところもない。体調がいいだけで幸せだわ・・」と心の中で眩いた。

それまでの一年忙しく張りつめていた心がここで緩んだ。でも次の瞬間誰の声なのか「嵐の前の静けさよ」という声が聞こえた。すぐに払拭したが記憶に残った。

Ⅱ.発症

はたしてその声の通り、2週間ほどした4月中ごろ腰に痛みを感じた。腰痛は時々あったし、たいしたことないのであまり気にもとめなかった。ただ、いつもの腰痛と違うことが1点あった。腰痛の出た日、一日だけだったが風邪のようなだるさを感じた。忙しかったころの疲れが出たのかなという程度に思っていた。

その2週間後5月の連休のころ左肩に痛みを感じた。その2週間後今度は右股関節に痛みが出て、歩きにくくなった。さらに2週間後の5月末ごろ、左股関節にも痛みが生じた。

おかしいな・・と思っているうち、6月10日の朝、起きると寝違えたかと思うほどの首と肩のこわばりで顔も洗えないほどだった。何もできず椅子に腰かけていると、電話が鳴り人が来ることになった。こんなことはしていられないと、とりあえずロキソニンを飲んだ。(頭痛持ちだったので、いつでもロキソニンはそばにありました)数時間後嘘のようにすべての痛みは消えた。

薬効が切れれば痛みはぶり返し、何かわからないまま4目後整骨院へ行った。通院しながら首のコリを丁寧にほぐしてもらい痛みは和らいでいったが、両股関飾の痛みは進行し、加えて右肩も痛くなってきていた。この整骨院へ行ってよかったのは、痛み止めを飲まないようにと強く言ってくれていたことだった。

このころにはただの筋肉痛とか関節炎とかというものでなく、何かの病気じゃないかと疑い始め、ネットで調べた。自分の症状にぴたりあてはまる病名があった「リウマチ性多発筋痛症」ステロイドがよく効くとあった。

さらに検索を続けるうちに、(今から思えば)松本漢方クリニックのホームページ上のどなたかの手記にヒットした。手記の中から「松本漢方クリニック」をさらに検索し、ここでホームページにたどり着いた。どこの病院にもかかっていない時点で幸運な出会いだった。

始めのうちは先生の論文もIgGとかIgEとか、何が書いてあるのかよくわからなかったが、とにかくステロイドは絶対にのんではならないということだけはよくわかった。飼い犬の惨憺たる状況を見てきただけに、120%理解できた。そしてリウマチは現代医療では治らないこともわかった。「今以上症状が進むようならここへ行こう」いつしかそう心に決めていた。

6月下旬かかりつけの内科医にお願いしてリウマチの検査をしてもらった。結果はリウマチ因子マイナスでリウマチではないと言われた。「ならばこの痛みはなんなのか」と問うと、「関節炎、原因はわからない。薬は痛み止め+場合によっては弱いステロイド。」ロキソニンなら手持ちがある、と言ったら、それを飲んで薬がなくなれば取りに来るように、と言われた。この先生は10年前地域の大病院から出て開業され、「病気は予防が大切」と学校やさまざまなところで禁煙の講演をされたり、月に一度患者を集めて勉強会をされたりととても熱心な先生。勉強会の回数も100回を越えた。診療の専門は血圧・腎臓だが、膠原病リウマチも診られる。こういう先生をして現代医療ではこの治療法しかない。

松本漢方クリニックのホームページを読んでいた者としては現代医療に対して残念な思いになる。

ふと、思い出す。開業されてまもなくのある診察の日、先生はポツリと「何もできないのです」と一。今、その言葉の意味が少しだけわかるような気がして胸が痛む。

7月に入ったころ、歩きにくくなってきたためホームページで得た知識から、鍼灸へ行くことにした。それでも症状は進み、12日ごろからはロキソニンを飲まずには普通の生活ができなくなっていた。夫に勤めを休んで大阪へ一緒に行ってくれるよう頼んだが、ホームページを読んでいない夫は「心配なら大きな病院へ行ってセカンドオピニオンを受けてみろ」と言うばかり。逆の立場であれば私もそう言うだろうと思った。自分の病気を理解してもらうために、夫にホームページの手記を示して読んでくれるよう頼んだ。読み終えた夫は休みを取ることを承諾してくれた。

かくして7月19日、それまでの一週間ロキソニンでつなぎ、大阪へとでかけた。

Ⅲ.治療開始

片道3時間半ほどかけて松本漢方クリニックに到着した。

予約していた鍼灸が終わりいよいよ診察。最初は息子さんの若先生の診察。

まず最初に「なぜこちらに来ようと思われましたか?」と聞かれた・・面食らう一☆少し驚いたがありのままそのまま答えた。血液検査の結果を持参していたので、それを見ながらお話しされている途中から松本先生が加わられ、「リウマチでない、て言われてんやな、リウマチ性多発筋痛症やな」自分がネットで調べた病名とぴたり一致した。「リウマチは怖い病気やないで、必ず治したるからな」握手をしていただいた。うれしかった。治る!と思った。初めてお会いする先生はいつまでもお話をしていたくなるような、優しく厳しく、素敵な先生だった。「実直な方」という印象が一番強く残った。

お話のなかで「「何かストレスがあったか?」との質問に、犬の病気を心配したことをあげた。先生は「そうか、元気になったんかほっとして安心したらしばらくして(病気が)出たんやな」こちらが説明するより先にその通りだった。その他現代医療の間違いにっいて強くお話しされた。少しはホームページを読み込んでいたが、その時はまだ現代医療の落とし穴についてよくわかっていなかった。この手記を書いている今は大分わかるようになってきた。自分の過去の経験からも、現代医療にかかわるならば、やはり患者側が勉強し賢くなっていなければ、医薬原病の餌食になりかねないと思う。

(話はそれましたが)同日とんぼ返りで帰宅し、翌日7月20日から治療を始めた。

漢方薬、ベルクスロン、お灸、漢方風呂、鍼灸はずっと週に2~3回続けた。先輩方の手記を読ませていただいていたので難なく治療に入れた。が、ロキソニンのリバウンドなのか、スタート初日から強烈な頭痛に見舞われた。丸2日続いてようやく解放された。

治療開始から二か月間の経過

一週間後、両肩・両股関節の痛みがだんだん強くなってくる。

ヘルペスにすきを与えないよう、ベルクスロン1日10錠はきっちりのんだ。

二週間後、いっそう痛みが厳しくなってくる。お灸は朝晩夫がしてくれた。

漢方薬が一種増える。漢方薬だけはなんとか自分で煎じたが、家事は何もできなくなり、すべて夫がしなければならなくなった。夫への負担が心配になるが、現実は運転も外出もできず買い物もできなくなっていた。

夜中は2時間ごとにトイレに起き、日中は痛みが出ると眠気に襲われた。

椅子に腰かけていると股関節がかたまり、立ち上がる時は激痛だった。

足はひきずりペンギンのように左右にゆれながら歩く状態だった。

風呂に入るのも衣類の脱着や湯船の出入りなど、大仕事だった。

~八週目、倦怠感と痛みで日中も床に伏していることが多くなった。特に肩の痛みがひどく、お灸も効かない程の激痛に襲われた時は「こんなに辛いなら現代医療を・・」と思わないでもなかったが、飼い犬のあの惨憺たる状況を思いだし、絶対にそれだけはダメだと即座に打ち消した。これに関しては、松本先生も初診の時、「犬に感謝しなさいよ、身をもって教えてくれたんや、あんたが愛情かけるからな」とおっしゃられた。優しい先生ならではの言葉で、嬉しくありがたかった。寝ている者が起き上がって動くたび、飼い犬は心配そうに顔を見上げる。この子に心配させないためにも早く元気にならなければと思う。

痛む箇所も膝、手指へと広がっていく。治療をしているのに症状が進む一多分一免疫力が上がってきて兵隊たちが遠征しているのだろう・・私の躰はヘルペスの楽園だったのか・・漠然とそのように考えていた。そしたら後日、先生のコラムに18世紀ごろの漢方医の「薬、瞑眩(めんげん)せざればその病癒えず」という言葉が書かれてあった。症状がひどくなることは免疫が上がっているということで良いことだ、とあった。やっぱりだ!とうれしかった。

こうして痛みの原因が分かった上で納得の治療をするのと、「原因は不明です」と言われてステロイド治療をするのとでは、気持ちの面でも雲泥の差だと思う。

辛いながらも正しい医療を受けていることを誇りに思い、感謝していた。

9月2日、靴下を履こうとして腰がビキッとなり、軽いぎっくり腰状態になった。

ただでさえやっと動いているのにこのまま寝たきりになるのかとショックだった。が、幸い行きつけの鍼灸で治療してもらい2~3日で治った。

~十週目、それでもショックが大きかったのか不整脈に見舞われた。脈が速くなり、さらに脈3、4回に1回脈が抜ける状態が続き咳込む。過呼吸のようになり苦しい。このような症状は以前から入院後とかストレスの後に出現していたが、「医学的にはほっといてもいい」ということで、処方されていた薬は精神安定剤だった。

驚いたことに長年苦しんできたこの不整脈、松本先生によるとこれも○○(すみません忘れました)神経に入り込んだヘルペスが原因とのことだった。

自分としては小心者ゆえの情けない自立神経症状と思っていただけにとても驚いた。二週間ほど悩まされたがいつしか不整脈は治まり、その後まったく再発はしていない。この症状から解放されるだけでも幸せと思う。

二か月(十週)を過ぎたころから、少しずつ少しずつ気力が戻ってきた。すこしでも夫の負担を減らそうと家事をしてみるが、体力が続かないのと痛みに負ける。洗濯物を干すにも途中で一度休まないと一気に干せない。

掃除機も途中で疲労感が襲い、続けられない。

料理も手が痛くて包丁がうまく扱えず、鍋やフライパンも持てず、できない。

運転も忘れないようにと車に乗ってみるが、左手でギアを動かせない。

このころ腕や足のやわらかい部分の皮膚が、象のようにがさがさになっていることに気がつき、先生に相談した。「そらアトピーや、手記読んでみ、くさるほどそんなんあるで」と即答をいただいた。クラススイッチは湿疹のようなものが出ると思い込んでいたので、これがアトピーかと驚いたがうれしかった。

顔の鼻や口の周りにも赤いかさかさがでてきて肌荒れかと思っていたが、これもアトピーだと気がついた。なかなか起こらないと思っていたクラススイッチが、いつしか起きていた。

お灸は続けていたが、このころから跡がかゆくなり下着の上からよく掻いていた。気がつくと掻いていたところの痛みがうすらいでいた。

二か月半が過ぎ10月に入ったころには体調もよくなり、買い物や運転への意欲も出てくるが、体力が戻っていないのと痛みがあるのとで、試みてみては「やはりまだ早いか・・」と思い直す。調子が良いのでベルクスロンを一日8錠に減らしてもらったが、痛みが戻りまた10錠に戻した。焦らない、焦らない。

三か月が過ぎた10月下旬からは体調はよいものの、痛みはラクな日もあれば辛い日もあるのを繰り返していた。松本先生には「あなたが治せない病気はない」「ヘルペスには必ず勝つ」と言葉をかけていただき、また多くの方の手記を読ませていただく中に、「自分の免疫を信じて」「必ず治ると伝えたい」といった言葉があり、これらを支えに待った。

三か月半が過ぎた11月中旬ごろから皮膚がぱらぱらと粉状になって落ちるようになってきた。乾燥かな・・と思ったがすぐに、飼い犬がアレルギー状態の時、いた場所にフケ状の白い粉が落ちていたのを思い出し、これもアトピーだと気がついた。どなたかの手記にもこのような症状のことが書かれてあった。本当にほかの方の手記を読むことは大切なことだと思う。このころ車で1分ほどのコンビニまでひとりで運転できるようになった。

四か月が過ぎた11月下旬ごろから、椅子から立ち上がる時の股関節の痛みが少し軽減し、ペンギン歩行の揺れの角度?が浅くなってきた。肩の痛みも軽減し、気がつけば家事の7割方をこなせるようになっていた。風呂も入りやすくなり、寒くなってきたこともあって、漢方湯が楽しみになってきた。この頃、「もうしばらくすれば、治る」という実感がわいてきた。本当に治るんや・・「信じる者は救われる」そんな言葉が浮かんできた。

四か月半が過ぎた12月初旬、かなりよくなってきた。車の運転は徐々に距離をのばしながら慣らし、買い物も自由に出られるようになってきた。手指の痛みもひいて、硬いものを切る以外は包丁も扱えるようになってきた。ただ、買い物とかで外へ出ると股関節両サイドにこわばりが出て歩きにくかった。歩きにくさがなかなかとれないことを先生にお話しすると、漢方薬が一種変わった。ベルクスロンが8錠に減った。

まる五か月が過ぎた12月下旬、気がつくと朝のこわばりや痛みがかなり軽減していた。

あと残る課題はやはり買い物に出たとき、ショッピングセンター内を歩いていても、だんだん股関節に痛みが出てきて歩きにくくなること、それがもう少し軽減すると生活に支障をきたすことはほとんどなくなる…もう少しや・・と思う。

五か月半が過ぎた1月中旬、股関節の調子が一段とよくなってきた。右股関節はほとんど痛みが消え、あとは左股関節が歩き始めたとき最初の20歩ほどが歩きにくいことだけになった。

が、ここで一つ、右目に気になる症状が出た。なんとなく目に違和感があり、おかしいなと思っていた矢先、朝目をさますと右目に真っ黒な熊手のようなものが映った。驚いたがヒアロンサン点眼液を数滴たらすと消えた。そのあとも時々薄黒い糸くずのようなものが目の前をふよふよと動く。初めての経験だったがインターネットで調べるとどうやら飛蚊症のようだ。後日電話で先生に聞いてみた。先生の答えはここでも原因はヘルペス。漢方薬が変わり免疫力が上がったからだろう、とのことだった。ストンと胸に落ちとても納得できた。

実は2年程前から右目になかなか治らない小さい霰粒腫ができていて、自分ではこれもヘルペス(が原因)じゃないかとどこかで思っていた。

半年(六か月)が過ぎた1月下旬、自分では8割方治っていると感じる。ベルクスロンも6錠に減った。このころ地元でかかりつけの内科医にお願いして血液検査をしてもらった。結果が出た。CRPの数値が0.11で数値の面からもかなり回復していることがわかった。

(ここでちょっと数値の推移を記してみます)

リンパ球 17.8(7/19) → 19.7(10/10) → 21.5(1/16)

CRP定量 2.53(7119) → 1.32(10/10) → 0.11(1!16)

七か月が過ぎた2月下旬、かなりよくなってきた。自分では9割方治っていると感じる。

ベルクスロンが4錠になった。4錠にすると痛みが少し出るように感じたので自分で5錠にしてみる。すると痛みが落ち着くようだ。ときどき少し痛みが戻るような気がするが、生活に支障をきたすようなことはない。行き戻りしながら確実によくなっていく。

七か月半が過ぎた3月上旬、いっそうよくなってくる。ベルクスロンを4錠にしてみるが、大丈夫そうだ。家の中では鍋の噴きこぼれる音に小走りに駆けよることができる。飼い犬の散歩にも挑戦してみる。超大型犬のリードを持つのは怖いが持ってみると難なく歩けた。飼い犬と散歩ができるようになった!普通に歩ける幸せをかみしめる。

まだ正座ができない等の課題は残っているが、生活に支障をきたすことはほとんどなくなった。

八か月になろうとする3月中旬、今までも十分よくなったと思っているが、さらによくなってくる。先生に「もうベルクスロンはいらんか?」と聞かれたが、薬をやめてしまうのは自信がなく、いままで通りに出してもらう。少しずつ減らしていこう。・・手記をまとめる。

この度の病気療養中、実は、痛みは厳しく辛く鍼灸院へ行く以外4か月間家から出られなかったが、精神的には意外と穏やかに過ごせていた。家事と飼い犬の世話ができないことが心苦しかったが、外へ出られずさまざまな活動がいっさいできないこと等あまり自分の中では問題ではなかった。心穏やかに過ごせたのは、夫や周りの治療への理解と協力があったからに他ならない。自分の置かれている立場・環境のありがたさに改めて気付かされた。また、病を得たことで自分の心の内や生き方、在り方を考えることができた。

元気になった今、病気になったことも含め、松本漢方クリニックの先生や若先生、スタッフの方々、家族、友人、インターネットというものの存在等々森羅万象すべてに感謝したい気持ちである。

〈最後に〉

拙い手記をここまで読んでいただき、ありがとうございました。

本当に幸いなことに私はステロイドをまったくのんでいませんでしたので、リバウンド等症状としては軽い方だったかもしれません。お役に立てるかどうかわかりませんが、現在治療をされている方の少しでも励みになればと、書かせていただきました。

私も途中思いました。手記を書かれている方々は治られた方たちで、治療をしても治らない人もいるのではないか、自分はそのタイプでこのまま治らないのではないか・・と。でもこうしてよくなり、車を運転し自由に買い物に出ることができるようになりました。超大型犬のリードを持って散歩もできるようになりました。

ここへきて霧が晴れるようにわかったことがあります。松本先生の治療はとてもシンプルです。真実はいつもシンプルとホームページ上のどこかに書かれてありました。先生の治療は真実です。治ります。

手記を書かれた諸先輩がたの言葉をお借りして、やはり同様にお伝えしたいです。

自分の免疫を信じて、先生の治療法を守り、病気を受け入れて治療を続けてください。

必ず治る!とお伝えしたいです。

最後になりましたが、松本先生、松本若先生、医院のスタッフの皆様、二週間ごとに薬を送ってくださった方々、本当にありがとうございました。遠くにいながらすばらしい医療を受けられたことに、心から感謝申し上げます。この後もう少し治療は続くと思いますが、よろしくお願いします。