「膠原病(自己免疫性肝炎)になって」
匿名希望40歳2005年9月29日
匿名希望40歳2005年9月29日
私が身体の不調を感じたのは、今から11年前、初めて出産したあとです。40度を越す高熱、頭痛、全身に広がる凄まじい蕁麻疹に苦しめられました。しかしどの病院でも原因不明と言われ、特に皮膚科では、「蕁麻疹は、殆んど原因がわからないものです。」と、あたかも当然のように言われるのが常でした。アルコールも殆んど摂らないのに、肝機能が悪いのも、突然顔に吹き出物が広がったのも、原因がわからないというより、最初から調べる気がないようにみえたものです。
そして、出た症状を抑える薬を出して終わり。私は素人ながら、これらの症状は、身体内部の深刻な変化を知らせるサインなのではと感じ、対処療法では何の解決にもならないどころか、薬によって身体の中を汚していくような気がして、鎮痛剤や痒み止めはほとんど使用しなくなりました。
そして2000年の暮れ、何日も続く微熱とだるさに、どうせわからないといわれるだろうと思いながら行った病院で、「自己免疫性肝炎」といわれました。自分の身体を攻撃する抗核抗体が、基準値の数千倍あったのです。医者は続いて「くわしく調べるには、肝細胞をとらなければいけません。ステロイド療法になりますけど、副作用があってもしますか?」と、いとも簡単に告げました。私は仰天しました。病名も初耳ながら、ステロイドの副作用といわれても見当もつきません。ただムーンフェイスになるというのはどこかで読んだ記憶がありましたので、副作用とは具体的にどんなものかと聞きましたが、その若い女医は、「太ったり、いろいろです。」と、いささか面倒くさそうに答えるのみです。「副作用に堪えて、治療すれば、完治しますか?」と聞くと、これもあっさり「しませんよ。」との返事。それで、この病院には二度と来るまいと決めました。
ネットで検索した、ステロイドの副作用のあまりの多さ、深刻さに驚き、改めてろくな説明もなかった医者の対応に腹を立てました。治せないなら、せめて恥ずかしそうにしろと思うのは、素人の浅はかさでしょうか。ともかく、対処療法でよしとする西洋医学に不信感を抱いた私は、ある本で知った診療所に行くことにしました。
そこは、徹底した食事療法でした。大量の水と、自然塩、紅花油、青菜、1日100gのみの蛋白質だけを摂取し、最低2時間は歩くことを厳命されます。それは想像以上に過酷でした。食べられないストレスと、診療所科通いと、歩くことに時間をとられ、仕事は滞り、日常生活に支障をきたしました。急激に痩せたため、寒気がとれず、蒼い顔をして、大量の水や塩のためむくんだ脚をひきずるように歩きながら、身体を治そうとしているのか、虐めているのか分からなくなりました。
肝機能は落ち着きましたが、時々顔が真っ赤になり、そんなときは、数日して治まるまで人前にも出れない状態でした。膠原病特有の蝶形紅斑とも違うし、訳がわかりませんでしたが、過度のストレスが身体によくないのは間違いないと思います。食事が解禁された途端、反動で過食症のようになってしまい、まともな精神状態ではなくなりました。普通に生活できない治療は、本末転倒かもしれません。
そんな時、人から松本漢方クリニックを紹介されたのです。松本先生の提唱する「後天的免疫寛容」は、目から鱗の思いでした。私がした食事療法もそうですが、「悪いものを身体にいれなきゃいい」という考えは、「それはそうかも知れないが、そんなことできるか」と薄々感じていたのです。食べ物や洗剤を自然のものに変えたら、と勧められたりもしたのですが、この時代に、この国で、そんなことは徹底できないと、ものぐさな私は思ったものです。そんな私に、松本先生の方法は、表現は失礼ですが、渡りに舟でした。
驚くことに、どの医者も下がったりはしないといった抗核抗体が、下がり始めました。2003年には2560だった数値が、2005年には320になっていました。蕁麻疹などまだ症状はありますが、人目をはばかるような発疹や吹き出物はなくなり(やはり女性にはこれは一番辛いのです)、健康的に過ごすことを心がけながら、普通に暮らすことができています。
松本先生、これからもよろしくお願いします。