「喘息治療中のリウマチ及びアトピー発症」
61歳2017年3月22日
61歳2017年3月22日
はじめに
2017年3月現在、松本漢方クリニックにお世話になり9年が過ぎました。現在ではリウマチ症状はほぼ現れず、アトピー症状はなくなりました。喘息は風邪をこじらせた時や時期的にきつい時はあるのですが、日常的には困らなくなりました。
40代から徐々に悪化し始めていた喘息の治療と、喘息治療開始直後にリバウンドによって発症したリウマチ治療、リウマチが軽くなっていく過程で発症したアトピーの治療に関する過程を手記にまとめました。
1997年、1998年頃から年間を通じて咳が出やすくなっていました。2006年に咳が止まらなくなり、呼吸器外来に通って処方された点鼻薬(ステロイド入り)、ステロイド吸入薬、気管支拡張薬、咳止め薬、各種炎症抑制剤を2年以上飲み続けました。その間、咳がひどい時にはステロイド入りの点滴も打ち、やがて体は衰弱していき、このまま生き続けられるか疑問を持ち始めました。何とか治す方法がないかネットで調べ松本漢方クリニックにたどり着きました。
松本漢方クリニックのホームページに載っている喘息患者さんの手記や、松本先生の喘息についての論文を何度も読み、これなら治っていくんじゃないかという希望が湧いてきました。人が生物として持っている免疫機構を薬によって阻害せず漢方薬の力を借りて免疫力を高め自身の免疫で喘息を治すという事実を手記から知りました。先生の論文は、詳細な記述も多く難しい医学的な論文ですが、「喘息はIgEという武器を使って人工的な化学物質と気管支粘膜で戦うことで起こるので、より大きな面積の皮膚から対外に排出する(アトピーに変える)ことで治す」という非常に大まかな理解をしました。『きっとこれだ』と思えました。(なぜ体外に排出できるかという部分については、松本先生が他の医学者の発見も踏まえながらきちんと説明してくれています。)
一般的に思うことは、専門性の高い領域を専門分野の知識なく理解することは大変に危険な行為(判断材料がないという意味で)だと思うのですが、人類が進化してきた過程で発達した自分の体を守る力(免疫)は基本的に信じられることだと思いました。論文は大きな文脈の中で理解しようと考えました。もともとの自然由来の異物(細菌、ウイルスを含んだ)のほか現代の人工的に合成された化学物質により喘息が起きやすくなっています。中国医学の発展をもとにした漢方薬により症状をやわらげ免疫を上げ免疫自身の力で喘息症状を治していくこと。人工的な化学物質の場合は免疫で殺し続けることができないことから免疫機構がやがてアトピーにより異物として体外に排出すること。松本先生が多くの臨床経験と研究によって得られた上記のような知見は、信じるに値することだと思いました。(きっと松本先生は信じてもらうことより患者自身が自分で考えて理解することを好まれるはずですが。)
2008年7月から松本漢方クリニックに通い始め、ステロイド薬を中止し、喘息の漢方薬を飲む治療を開始して1ヵ月以上経過してから、朝の起床時に手がこわばり、30分間程は指を伸ばすことができなくなりました。松本先生からリウマチの発症を告げられました。一時は手の指や肘・膝が大きく腫れ、チリチリとする強い痛みが続きました。骨の変形ではないのですが手の指が横方向に曲がりました。膝も腫れていると同時に横方向に曲がっているように見え足を引き摺って歩いていました。
リウマチの発症により、食前に喘息の漢方薬を飲み、食後にはリウマチの漢方薬を飲むという生活を続ける事になりました。その後、リウマチによる患部の腫れはだいたい6ヵ月ほどで治まり、1日の多くの時間生じていたチリチリとした強い痛みも1年以内にはほぼ治まりました。その後4、5年ほど手のこわばり、手足の指、手首、足首、肘、膝に痛みが出ることがありましたが、今現在では強い痛みは起きなくなりました。
喘息は多い年で年数回ぐらい発症することがありますが、子供の頃からの持病のようなものなので、まだしばらくは付き合う必要があると考えています。体に優しい処方をしてくださっているのできっと完治するはずです。風邪が悪化した時も風邪と喘息の漢方薬を飲むことにより、喘息症状で1週間以上苦しむことはほぼなくなってきました。喘息が悪化し始めた2006年とは全く比べようのない毎日です。
1.松本漢方クリニックに来院するまでの体調面など
(1)子供の頃はよく風邪をひいていた
私は幼い頃からよく風邪をひき、少し悪化するとゼイゼイ言っていました。もともと体が強くないようでした。しかし体を動かすことは好きでドッジボールや鉄棒、かけっこなどでよく遊びましたので室内でじっとしているようなことはありませんでした。食べ物に関しては、食べられない食べ物はありました(いわゆる好き嫌いが多い子供だったと思います)が、蕁麻疹が出るような食べ物はありませんでした。軽いアレルギー症状を持った子供だったと思います。中学校を卒業する頃あたりからは体もずいぶん強くなりましたが、風邪が少し悪化すると喘息症状になる事は変わりありませんでした。
(2)社会人になってからの体調
10代、20代と多少ですがスポーツで体を動かしていた結果、ひどい風邪をこじらせた時だけ喘鳴と息苦しさが発生する程度になりました。そのため、日常的に喘息を意識するようなことはありませんでした。
30代になり仕事の責任が増えたことで、忙しい時は平日深夜まで仕事したり休日に仕事をしたりと、かなり忙しくなっていきました。そういった生活が続いたせいか40代を過ぎた頃から、寒冷な季節、春先、梅雨の頃、台風シーズン、秋の深まった頃と季節のいろいろな時期に、少し体調が悪くなった後に、あまりひどくはないのですが、なかなか咳が治らないことがよく起きました。
風邪が少しひどくなってくると病院に行き、咳止めであったり、鼻炎薬であったり、風邪薬などを処方してもらいきちんと薬を飲んでいました。20代、30代の若い頃には気が付かなかったことですが、市販の特定の風邪薬(テレビ宣伝するような有名な商品)を飲むとかえって風邪(咳が徐々にひどくなっていき、息苦しさもひどくなっていく)が悪化するということも、この頃から起こり始めました。「合わない薬もあるのかもしれない」と考え、風邪症状が悪化してから病院で診察を受け、薬を処方してもらうということを繰り返していました。
(3)喘息の発症?
40代後半、風邪をこじらせた後に左右両方の鼻から黄色い鼻水が3日間ほど何度かんでも出続けたり、特に体調面に問題を感じていないにも関わらず冬に少し寒い場所(室外)で仕事の打ち合わせをしていただけで、その後に発熱・ひどい咳・胸の苦しさが起きるなど明らかな体の異変が起き始めていました。また、年間を通じて咳がよく出ていました。
50代になり仕事で訪問した鉄道駅を出て歩いていた時に、急に咳が出始め、なかなか治まらないことが起きました。その地域は過去に喘息患者が多く発生した工業地帯に近いため、多少空気がよくないことは感じていて(すこし敏感なようです)、「この地域はまだまだ空気がきれいになっていないのかな?」と思う程度だったのですが、以前にもこの地域付近はよく来ていたのですが、こういった経験は初めてでした。この頃を境に咳が続くことが多くなりました。
(4)呼吸器専門の医院に通う咳が頻繁に出るようになったので呼吸器外来の開業医に通院しました。院長は、アメリカでも呼吸器疾患の勉学を行い、医学雑誌(どのような雑誌だったか忘れてしまいましたが)に複数回、呼吸器疾患に関する記事を発表していましたので、とても安心した心持ちで処方を受けるようになりました。
ピークフローメーターで測るとフローボリュームカーブが健常人と喘息患者の間ぐらいで、気道狭窄は「やや軽度」とのことでした。重くはないけれど喘息症状があるとのことでしたので、落ち着いた症状になるまで通院することにしました。この時、「喘息は治る病気ではないけれど薬を正しく処方すれば症状をコントロールし普通の生活をすることが可能です。」と言われました。院内の雑誌で冬季五輪のアイススケート金メダリストの清水氏も喘息をコントロールしながら競技生活を送っているという記事も見ていたので、コントロールをうまくすれば健常者と同一の生活が送れるのだと理解しました。しかしながら、子供の頃の苦しかった経験を思い出すと少しショックではありました。
この時院長が話した「薬を正しく処方する」「コントロール」という言葉の意味を、薬を正しく飲むのは当たり前ぐらいにしか受け止めませんでした。しかしそれは、この後2年間近く続く薬漬け(ステロイド薬、各種抗炎症薬、気管支拡張薬、咳止め薬等)の開始の合図だったのです。
1日3回大量の薬を飲み続けること自体も大変な事でした。最近は医学の常識とされている事柄(手術の可否・投薬内容の良し悪し・薬自体の安全性など『標準医療』自体)に対して疑問や懐疑を抱く情報を、出版物等で伝えているメディアもあります。しかし2006年当時は私を含めた多くの人たちの感覚からは医者や医学の常識は医学を知らない門外漢である一般人には疑うことのない信じられる世界だったのです。
(5)1週ごとに体調悪化
2007年は仕事内容が大変にきつく、深夜までの仕事、付き合いも兼ねた深夜までの飲酒、今までにない高度な顧客折衝などが重なりました。喘息の悪化はよく起こり、仕事が休みの日に通院もしました。経口ステロイドの短期的な集中投与や、ステロイドの入った点滴も2度行いました。
ある受診日には、ムコダイン錠、ムコソルバン錠、テオドール錠、セルベックスカプセル、キプレス錠、ポララミン錠、セレスタミン錠、プレドニン錠、テルシガンエロゾル、キュバール、ナナドラネーザルと、うんざりするほどの薬が処方されました。点鼻薬や吸入薬その他の薬は症状によって多少違う銘柄になったりしましたが、基本的にはこのように大量の薬を処方されていました。
2008年になり、強いストレスの発生する仕事から通常の仕事になり、長時間勤務からも離れ、飲酒も仕事上では飲まなくなってきました。ストレスが少なくなってきたにも関わらず、おかしな事にかえって体調が悪くなり喘息がひどくなることが多くなりました。後から松本先生の論文を読んで解ったことですが、強いストレスが解消すると、自身が体の内部で作っていた副腎皮質ホルモン(人間自身が戦いの継続のために作り出す闘争のための物質)がリラックスした生活に戻ることであまり出なくなり、今度は体の修復のために免疫が正常に働き始めたからだと思います。
春先から夏にかけ、薄着になるのですが、少し体が冷えただけで咳が出始め、それは治ることなくどんどん悪化するのです。1ヵ月に1度はプレドニン(ステロイド)の短期間大量投与をしないと咳が治まらないのです。あまりにも呼吸がつらいときは点滴(ステロイドが混入されていることを後から知った)を打ち、ずいぶん呼吸が楽になりました。
どうしてこのような弱い体になってしまったのか当時は全く解りませんでした。医学は進歩し続けていて、その進歩の結果により医者から提供される薬は基本的には最適な処方で各人にあった内容になっていると考えていたからです。
2.命の危険を感じ始め松本漢方クリニックにたどり着く
(1)松本漢方クリニックのホームページにたどり着く
将来設計が立てられないほどの体調悪化があり、いろいろと考えをめぐらし始めました。このような体調では長く生きられないのではないかとも考えました。「科学の進んだこの時代に誰かこの苦しい喘息を治せる人はいないものか?」「ネットで日本全部を検索にかければ何とか対処法が見つかるのではないか?」「今までの治療法は医療界で承認されている信頼のおける治療法のはずだが違った方法もあるのではないか?」ネットとは便利なもので、根気よく視点を変えたいろいろなキーワードで検索し続ければ、様々な情報にたどり着くことができるものです。この時に喘息について知っていた情報の中で1番大きな事柄は「喘息は治らない」「一生付き合っていかなければならない病気」のこの2点でした。通院先の呼吸器外来の医師も言っていたし、他の医療機関の医師たちもそう言っていたのですから。
しかし、特別根拠があったわけでもないですが、生き続けたい望みと科学の発達した現在(基本的には現代医療を信じていたため)への認識がないまぜになって「完治」とか「治る」とかいうキーワードを入力しました。「松本漢方クリニック」のホームページには当時は「喘息完治」でたどり着いたと記憶しています。(なぜか今はgoogleでこのワードではTOPページに表示されませんでしたが。)
松本漢方クリニックのホームページが表示され松本先生の「喘息は治る」「自分自身の免疫で必ず治る」という力強いメッセージに出会いました。そして体調悪化を引き起こしていた主因のステロイド(それは後から明確に解ったことですが)に対して「ステロイドは絶対に使わない」というメッセージに出会いました。また松本先生の論文を読むうちに、私自身が持っていた「科学の発達した現在への楽観的な認識」は、松本先生の医療が中国医学の歴史の積み重ねと免疫学(免疫学以外の医学全般の理解ももちろん)という科学の上に発展させている点を理解しました。そして現代医療が私の喘息を悪化させていた張本人であることを知り、現代医療が間違った方向性になっていることも理解し、決して楽観できない状況であることも知りました。
「どんなふうに喘息を治してくれるのだろう」「どのような過程で喘息が治っていくのだろう」喘息を何とか治したいという必死な思いとは別に「喘息が本当に治るのか?」現在自分自身が苦しんでいることを解決するため、その過程について知りたくて仕方ありませんでした。
松本漢方クリニックのホームページには、喘息だけではなくアトピー、リウマチの他膠原病、その他さまざまな病気についての論文を掲載しています。まるで医学を教える学校とか医学論文専門サイト(松本先生単独ですが)のような雰囲気もありました。患者さんの手記もあり、アトピー、リウマチに比べると喘息は治りやすい印象を持ちました。最初は喘息の論文を読みました。喘息の論文を読んでアレルギー疾患という範疇の症状であることが記述されていたので、他のアレルギー疾患であるリウマチや膠原病の論文も見ました。
松本漢方クリニックに通うようになり松本先生とお話をし、次々発表される論文を読む中で解ったことですが、非常に研究熱心な先生で、様々な病気に対する探究心が大変旺盛な方です。また臨床を大変重視されながら医学者として歩んでこられた方なので、論文自体も精緻せいちな表現です。基本は医学論文ですので医学者向けなのですが、医学を知らない一般人を意識した記述をされているのですが、それでもまだ多くの専門用語が出てきます。医学を学んだことがない一般の私には詳細を理解することはできませんでした。
この膨大な論文を掲載されるのは、高等な生物である人間の免疫に対する信頼感とその免疫を補完する中国医療の産物である漢方薬に対する信頼と世の中に対する啓蒙と、現代医療に携わる医療機関や行政に対する強烈な反発があるからだと感じました。
人間の体に幾重にも張り巡らされた免疫の仕組みはなかなか理解できませんが、大きな文脈の中で、生物である人間が持っている自身の体を守る力(免疫)がいかに各種の病原菌から体を守っているか、その仕組みは人類の長い進化の中で発展したであろう、何重にも張り巡らされた防御機構と攻撃機構であることを教えていただきました。(こういった内容は義務教育の最終段階あたりで「人間の体を守る免疫」として基本教養として教えればいいのではないかと思います。)この理解を通して、おそらくは少数派であろう漢方診療を受ける気持ちになりました。
通院後に分かったことですが、「免疫を抑えてはいけない、ましてステロイドは絶対使ってはいけない」という非常に明確な指針を持った医者は少数派どころではなく、今現在のところ松本先生以外には知りません。(松本先生はこの部分については「俺だけや」と常々おっしゃっているのできっとそうなのでしょう)
(2)松本漢方クリニックの初診
2008年7月に「JR高槻駅」にたどり着きました。松本漢方クリニックに来るまでの簡単な症状や体質について記述したA4用紙1枚と、直前まで通院していた呼吸器専門医院の処方歴を手に「松本漢方クリニック」のドアを開けました。患者さんの手記にもあったように、漢方薬の匂いが医院全体にいきわたり、今まで通院したことのある医療機関とは明らかに異質であることを感じました。漢方薬局に行ったことがあるのですが、その店で出会った匂いとよく似た乾燥した植物が持つ浸透性のある強い匂いがしました。ネットを見ただけでは理解できていなかったのですが、その違和感は松本漢方クリニックが中国漢方の流れの中にあり、工業製品として生産される医薬品(厳密な衛生管理、無菌装置に囲まれた工場で生産される一見優しい表情をした薬の集団)をほとんど扱わないことと関係しているのかと感じました。
漢方薬は工場生産される薬とは違い生薬のため(松本医院は漢方薬の中でも漢方製剤は少なく生薬を中心にした構成であることも後で知りました)各種の植物が持っている固有の匂いが複雑に混ざり合った香りを発しているのです。ネットでその理論は理解したつもりで、松本漢方クリニックさんにきっとお世話になり続けるだろうと決心もしていましたが、ドアの中の様子を事前に想像していなかった私には自身の想像力を十分に働かせていなかったことを思い知りました。「こういう東洋の知恵が詰まった中で治していくんだろうな」と。
受付を済ませて5分もしないうちに診察室から聞こえてくる大きな声の関西弁に静寂は破られました。中国悠久の歴史もどこにあるのか行方不明です。立て続けにしゃべり続け、どうも患者さんと話しているような内容で自説を話し続けられています。「ん?松本先生?」初めてなので誰なのか声だけですしよくわかりません。話している内容からするとお医者さんのようで押しの強い人のように思えました。(松本先生が作り上げられた理論と現代医療の理論が、人間の持っている免疫をどう扱うかというところで全く相いれないので、松本漢方クリニックのホームページを読む前のような現代医療を全面的に信じていた私のような一般患者には何回も何回も丁寧にしかも声高に話す必要があることを後から理解しました。)
(3)驚きの早い効果
先生の問診が終わった後に処方薬をもらいました。漢方薬の匂いがプンプンしていて帰路の新幹線乗車で周りの人たちから怪訝な顔をされそうなことを想像し、若干匂いを閉じ込めてくれそうな袋を調達しました。昼を多少過ぎた時間帯だったので鼻炎用の漢方製剤を食後に飲みました。処方していただいた薬は喘息用の煎じ薬と鼻炎用の漢方製剤(粉薬)の2種。食後すぐに水を口に含み鼻炎用の漢方製剤を量が少し多いのですが大きく開いた口の中に流し込みました。「・・・良薬口に苦し・・・。」まさしく苦い味でした。一般の病院でもらう薬に苦い薬はあります。それでも量の調整がしてあって少なめなので水で流し込めるのですが、この薬は2~3倍量あり一気に流し込むにはコツがいりそうです。来院前に松本先生の論文をいくつか読み「この先生には治してもらえる」という確信めいた思いを持っていたので苦痛ではありませんでした。
飲んでから10分余りした時に鼻の奥がスーッと通る感覚がしました。この感覚は鼻炎の方はわかると思いますが、鼻がほんのわずかでも詰まっていると息をする上ではあまり感じなくてもどこか呼吸がうまくできないような、抵抗値が低い障害物が入っているような感覚です。その後に鼻の奥がスーッと通ると初めて詰まっていたことがわかる感覚です。その感覚が鼻炎の漢方製剤を1回飲んだだけで訪れたのです。驚きました。わずか1回の薬を飲んだだけでこんなに通るなんて本当に驚きでした。
今までさんざん鼻炎薬を吸引していたのです。つい昨日まで。しかしこんなに鼻の奥が楽になったのは久しぶりでした。「漢方薬は効き目がゆっくりでその人に合えば徐々に体質を変えていき・・・」なんていうことをよく聞いていたので、こんな即効性があることは想像していませんでした。漢方薬は処方の仕方もいろいろなアレンジがあるのでしょう。この鼻がスーと通るような感覚は30分後にはなくなっていました。元に戻ったのです。しかしこの繰り返しの中で治っていくのだろうと確信しました。
(4)喘息治療開始後にリウマチ発症
喘息治療を開始して1ヵ月ほどした頃から、朝の起床時に両手の指がまっすぐ伸ばせないで痛みとともに全体がこわばってきました。30分ぐらいはこの状態が続いたでしょうか。日中にはなんだか足も踏ん張りがきかないこともしばしばありました。力を入れようとしても力の入れ方が解らない感覚です。
こういった状態から始まり、やがて手の指、手首、前腕部、肘、足の指、足首、膝と痛みが始まりました。痛みに似た違和感は四六時中あるのですが、チリチリと焼けつくような強い痛みがたまに起きました。強い痛みは長くは続かないのですがおそらく10分以上は継続していたと思います。痛い部分を強くもむとさらに痛いのですが、一瞬痛みが引くのでそんなことをしていました。松本先生にこの症状を話すとリウマチだと言われました。松本漢方クリニックの前に通院していた呼吸器外来では多量の経口ステロイドを処方されていて、たまに点滴でもステロイドを処方されました。早速リウマチの煎じ薬を処方され松本漢方クリニックで鍼灸を受けました。リウマチは煎じ薬だけでは治らないので患部に灸を充てるために大きなもぐさの束と灸の後(だんだん後は消えていくのですが小さなやけどを起こすため)に塗る赤い軟膏(紫雲膏という伝統的な漢方の軟膏)も処方してもらいました。また、体力消耗に対応するため大量のプロテインを補給する必要があるとのことでした。
自宅に帰ってからは喘息治療とリウマチ治療を同時に行うため、毎食の処方薬は鼻炎の漢方製剤(粉薬)、喘息の漢方煎じ薬のほかにリウマチの煎じ薬も増えました。毎回毎回苦虫を噛み潰したような表情をして薬を飲み続けました。口の中に薬の味が残るので板チョコを小さく割って食べ薬の味を消していました。
リウマチの強い痛みが毎日起きるので1日に2、3回灸をしました。もぐさを小さく糸よりのようにして小さな1本を作るのですが、これが大変な作業でした。手の指1本ごとにその糸よりを1回あたり4、5本置くのです。もぐさに点火し非常に熱くなるかチリっとした痛みが発生した段階で、手で火をもみ消すのです。手の指1本にはこういったことを4、5回実施して合計20本近い糸よりを燃やすのです。効き目は絶大でたいていの場合は強い痛みは消失して、日によっては1回の灸で1日中痛みがなくなることもありました。
大量のプロテインが必要ということでしたので市販のプロテインを牛乳で溶かし1日に2回ほど飲みました。1日の水分補給量は相当に多く、1食あたりに鼻炎薬に水150ccぐらい、喘息煎じ薬が130ccぐらい、リウマチが130ccぐらい、プロテインは1回あたり牛乳200ccで1日合計1630ccです。これが日常生活に加わるのですから排尿の回数が大変多くなりました。汗も非常に大量にかきやすくなっていました。
灸を始めてから2、3週間ぐらいで手の指の腫れによる変形と膝の変形したように見える腫れは引きました。強い痛みはまだ起きていましたし手足ともに腫れてはいましたが、足を引き摺って歩くようなことはあまり起きなくなりました。1ヵ月を過ぎてから手の指関節と指の付け根の腫れと膝関節の腫れはほぼなくなりました。
その後手の指、指の付け根の少しの腫れと痛みには悩まされましたが、少し強い痛みがある時はできる限り灸をするようにしました。すると6ヵ月以内には1日中痛むことはなくなりました。以降は灸をしなくても暮らせるようになりました。仕事柄ペンを持ったり、PCのキーボードを打つことが多いのですが痛みのため最初の1ヵ月はなかなか大変でした。
4、5年経過してからは日常的な痛みは全くありませんが、体調が悪い時なのかよく判断できませんが、鈍い痛みが発生する時がまれにあります。左右対称のときもありますが多くのときは左右の片側だけで鈍い痛みが発生することがあります。
足は指の中心、足首、手は指とその付け根と手首、前腕部に鈍い痛みが発生することがあります。松本先生にはヘルペスによる症状だと言われています。喘息治療で長らくステロイドを服用していた間に弱った免疫の間隙をぬってヘルペスが増殖していたようです。治療に際しては本来であれば抗ヘルペス治療薬を長期服用するといいのですが、一緒に松本漢方クリニックにお世話になっている2人の子供に抗ヘルペス治療薬を使っている関係上、自身の治療に全額自費負担の高価な抗ヘルペス薬を使うわけにはいきません。残念ですがこういった症状の時は、リウマチの煎じ薬を処方してもらっています。しばらく服用すると痛みは徐々に消えていきますので、この方法で行くしかないかなと感じています。
一患者として医学的な議論を行うことはできませんが、松本先生に診察していただいている2人の子供の経過を見ていても抗ヘルペス薬の有効性(各種医療結果の数値としてではなく残念ながら経験した実感としてしか語れませんが)を感じていますので、厚生労働省はじめ医薬界がこれを認めていないことには憤りを感じます。
(5)喘息治療
喘息治療は、鼻炎の漢方製剤(粉薬)と喘息の漢方煎じ薬の2種類です。1日3回食前食後に飲み続けました。飲んでしばらくすると息苦しさが和らぐ感覚がします。1、2ヵ月後には1日中息苦しかった呼吸も幾分楽になってきました。煎じ薬は2番煎じ(煎じた後の漢方薬をもう一度同量の水で煎じた薄味の煎じ薬)もお茶のように愛用して飲むように言われていたのですが、1番煎じを飲んだ後では良薬(私には苦くてまずい薬)なのですが、味が薄くなっているとはいえもう一度飲むことはできませんでした。
リウマチ発症後は喘息治療と同時にリウマチ治療も行いました。リウマチのリバウンド時の体力消耗を補うべくプロテインも摂取していたのですが3ヵ月間ぐらいは体に力がなくなることが多く、1日中ではないですが寝込むことがよくありました。松本先生からは風邪をひかないように注意されていたのですが、よく風邪もひきました。風邪を引いた後には風邪薬の漢方薬も処方していただき飲んでいました。
基本的には喘息治療+風邪治療で風邪を原因とした咳は治まっていくのですが、ある時は風邪薬を1週間飲んでも咳がやまない時がありました。松本先生にお話をしたところ、風邪薬の成分を咳によく効く薬に変えようとのことでしたので新たに処方していただき、その新しい風邪のせんじ薬を飲み咳が治まりました。漢方薬の奥の深さに感心し、松本先生の的確さにも改めて感服した次第です。
当初の喘息の症状は、日常的に起こる喘息患者特有のゼイゼイした呼吸音でした。呼吸がずいぶん楽になった1、2ヶ月以降でも大きく長く吐き続けた息の音は同じでした。6ヵ月を過ぎるあたりにはまだ咳は頻繁に起きていましたが、通常の呼吸においてゼイゼイすることがなくなってきました。6ヵ月目ぐらいまでは倦怠感と激しい咳で週に1、2度は寝込む(1日中ではありませんが)ことが発生していましたが、この頻度も徐々に回数が少なくなっていき、5年目ぐらいには月1、2回程度に治まりました。
現在は春・秋の花粉症シーズン、梅雨時、台風シーズンには大体毎年喘息症状が出ています。埃っぽい場所にいた時もそうです。松本漢方クリニックにお世話になる前だと薬を飲まないと症状が徐々に悪化していくのが常でしたが、今では風邪をひいていない時で喘息症状が軽い時には煎じ薬をすぐには飲まないで様子を見ることもあります。3、4日から1週間ぐらいで症状が改善に向かう時もありますので、以前よりも喘息に対する対応力が上がっているのかもしれません。ただその間はできるだけ安静にしていますが。
風邪をひいて悪化した時の喘息煎じ薬は致し方ないにしても、それ以外で喘息煎じ薬を飲まなくて、しかも割と日常生活が継続できてという状況になった時喘息の完治と言えるのではないかと考えています。
(6)アトピー発症
喘息治療を開始しその1ヵ月後にリウマチ治療を開始しました。松本先生からリウマチの治る過程でアトピーに移行することを聞いていました。松本漢方クリニックのリウマチ患者さんの手記でもリバウンドが酷かった人はアトピー治療でも相当苦しい思いすることが多く記載されていたので、いずれアトピーが起きると考えていました。どのぐらいの規模かはわからないですが、ステロイドを結構使っていたので、そこそこの規模になるのではないかと覚悟をしていました。
リウマチ治療を始めて6ヵ月後ぐらいに腰から背中全体にぽつぽつ発疹ができ、強い痒みがありボリボリと掻いていました。この痒みは1、2ヵ月続きましたが痒みだけでそれ以上悪化することなくやがて治まっていきました。手の指も全体的に痒くなり関節部は特に痒くなり赤く腫れてきました。同じ時期ですが両手のひじ周囲が広範囲に少し赤く腫れていました。強い痒みがあり、やはりボリボリ掻きましたが、背中は乾燥していたのですが特に左手の部分は上腕二頭筋、上腕三頭筋あたりも赤くなって少し腫れていました。掻いた後にはリンパ液が全面にジワーッと出てきました。ステロイドの点滴は左腕中心に実施していたのできっと左腕にリバウンドがよく起きているのでしょう。
この状態は3、4ヵ月続きました。赤い軟膏(紫雲膏)を多めに塗って包帯をする生活は大変でした。紫雲膏を塗った矢先にすぐ痒くなるのです。包帯を指でつまむようにつねって痛みに対処したりしていました。1日の中で包帯を取って患部を空気にさらす時間帯があるのですが、この時はしばらくするとリンパ液がジワーッと滲み出てきます。痒みも相当に強く掻きたいのですが掻くと強い痛みが発生するので、手のひらでペンペン軽く叩いたりしながら痒みを我慢していました。
この手の症状の後だったと思うのですが、今度は首筋後ろと後頭部の低い部分(首の5cmぐらい少し上)が痒くなってきました。首は紫雲膏をつけることなく1ヵ月ほどで治まりました。後頭部は当初直径2、3cmだった大きさが徐々に大きくなっていき最大時で5cm以上の直径になりました。真円ではないので長いところで7、8cmはありました。当初は何かの細菌感染を疑い近所の皮膚科で見てもらいましたが細菌感染ではありませんでした。松本先生にはアトピーと言われました。
この後頭部は全体に赤い皮膚の色をしており少し腫れて盛り上がっています。紫雲膏をつけないでほっておくと2日ほどでフケの様な湿った粉が時間の経過とともに増えていき、もう少し腫れてきます。痒みも強くなり掻くとやはりリンパ液が出てきます。紫雲膏を3、4日つけると腫れは多少引いて、フケもやや治まっているのですが色は赤いままです。紫雲膏をやめると直後より徐々に当初の状態に戻っていきます。そんなことをアトピー発症後7年間以上続けていました。
シャンプーは頭皮への刺激を抑えるために添加物のより少ない石鹸シャンプに変えて生活していました。しかし7年間はかかりました。8年目の現在は1年近く皮膚が赤くなることも腫れることも痒みが発生することもありません。背中と手と後頭部のアトピーはもう発症することはないと思います。
3.最後に
アトピーを発症させていた主な原因であるリウマチは症状からして完治したと思います。アトピーについては1年以上アトピー症状がないためこれも完治したと思います。この2つの判断は松本先生に血液検査等による数値判断をしていただいたわけではありませんが、症状が安定してからの経過時間も考慮するとそのように思います。医学としての正確な判断は後日、松本漢方クリニックに相談して実施したいと思います。喘息はもうしばらく松本先生にお世話になると思います。よろしくお願いします。
最後になりましたが、松本先生はいつも「ホームページ見たか?」と患者としても一定の努力をすることを求められます。当初3、4年はよく見ていたホムページも最近ではたまに開くだけになっています。そういった意味で決して良い患者ではない私にも様々な話をしてくださいます。ありがたいことです。しかし、せっかく医学の真実や世の中の主流以外で起きている正しい、あるいは正そうとしている行為を知ったので、このことには何らかの関わりを持っていく必要性を感じています。様々な事情から歩みの鈍い現在ですが少しでも力を発揮できたらと考えています。
松本先生が真摯な姿勢で新しい発見や、臨床の中の新たな小さな発見さえ研究され、医学の新しい知見も常に勉強されていることは、お話の中や、ホームページに新たに掲載される論文からもお見受けいたします。今後もさらなるご活躍をお祈り申し上げます。